しばらくしてから幾つか少しずつ連絡があった。 しかし、その結果は散々なものだった。甘さを宿した申請への結論なんて、やはり想定内の範囲でしかない。電話が鳴る度にネガティブアプローチ。地方銀行からもダメ、信金からもダメ、労金からもダメ、農協からもダメという結論ばかり。もちろん返事や言い方は穏やかそのモノだったけれども内容は背筋が凍り付く程に厳しい。それからも行き当たりばったりで幾つかお願いしまくった。だが各種様々な方面で当然の如くダメダメ光線。さらに兵庫県を飛び出して大阪、京都、奈良への銀行にも考えの幅を広げてお願いしたところでダメ。間違いなく手詰まりとなった。いや、でも違う。1つだけ残っていた。こんだけダメダメ光線を浴びると私も含めて周囲の温度差がとてつもなく冷めてくるのも無理は無い。けれどもココまで来て諦めてはならない。正に七転八倒であった。私は抱えられるだけ全ての書類を持参したうえで、SMBC姫路南支店を尋ねた。既に背水の陣と言っても過言ではなかった。藁にも縋る気持ちだったのだろう。当時担当して下さったのは松井さん。その時の光景は今でも思い出すと涙が出そうになる。失礼失敬はとことんあったに違いない。少し時間も頂けて話を真っ直ぐ聞いてくれた。仕事だから、良い融資の話だから、という事情が含まれる含まれない如何にしても親身になってくれていたのは十分理解出来た。
「和田さん!!、わざわざ住宅ローンを組む為だけに修正申告をしたんだよね。ダメだったら、どうするの?」
「松井さん!!、アカンかったらアカンと思うだけなんですよ。出来るからやってる、という感じは一切ありません。アカンのは100も承知です。ローンが通るからガンバル、ってのはそもそも話がおかしくて順序がマルっきり違いますよ。何でもカンでもやってみないと分からない事なんで、僕が出来るコトは何もかも全力を尽くすだけなんです。僕に出来ないコトがあるから、松井さんにお願いしています。言葉遊びではなくて心底、お願いしています。松井さんを信じてます。軽く聞こえるかもしれませんが今はそれを否定する要素なんて全くありません。もしコレでアカンかった時には単純にアカンかっただけの話なんで理解します。姫路を飛び出すという夢は露と消えますが、また改めて準備を整えて挑戦するつもりです。一寸の光だけを見せて下さい。どうか、どうか宜しくお願いします。松井さん!!力を貸して下さい。」
もし万一ダメだったら・・・、と思っただけで胸が張り裂けそうになり確実に情緒不安定となっていた。目指すべき兵庫県、我が子の幼稚園、妻の期待、親父との激励、そんなこんなのいろいろな野望やら期待やらを考えると居ても立ってもいられなくなる。だからと言って何かが出来るか!?、というと最早、何も出来ない状態。出来る事は全て実行していた。整えられるコトは全て整えた。松井さんを信じるしか無かったのだ。NOの結果は間違い無く周囲に対する信頼が失墜へと導かれてしまう。家庭教師という仕事、個人事業主というポジション、これらの先行きはもう完全に消え失せてしまう。たった3、4年でも自分が築き上げてきたモノがパッと消えてしまう。そればかりでなく、家庭教師という職業で人生を築く、という諸行も実現出来なくなってしまう。焦る気持ちを抑えながら無我夢中で手元の仕事に没頭しまくるしかなかった。
SMBCへ住宅ローンの仮審査申請を行ってから2週間程度が過ぎた頃、松井さんから1本の電話が入った。ハラハラドキドキしながら話を聞き入る。提出前に幾つか質問事項を確認したかっただけのようであったので一先ず安心。正直言ってあまり心臓には良く無かった。さらにその後、2週間程度が過ぎた頃、また松井さんから1本の電話が入った。今度は私の意識的な確認と事業現況や将来への進展性を改めて確認したかったようで、返済能力を見出すことが出来るか否か、を問われた。松井さんから連絡がある度に心臓がバクバクして仕方が無かった。当初より、都銀での仮審査はなかなか難しい、という話を聞いていたし悉くダメ光線を受けていたので、一本目ないしは二本目の電話でスグに断られるとタカを括っていたからだ。その雰囲気を察してもらえていたようで松井さんの言葉から、次の電話では恐らくハッキリした返事が出来る、という旨の報告を受けた。いよいよ覚悟を決める時がきたような気がした。そして、しばらく結論の事は考えないようにして仕事に打ち込んでいた時のことだった。とうとう松井さんから連絡があった。それは2回目の連絡から1ケ月程度過ぎていた時のように思う。着信表示を確認してハラハラしながらも、、、
「はい、和田です。お世話になります。松井さん!!」
「和田さん!!、良い知らせだよ。。。」
その第一声に感極まってしまい膝から崩れた。知らず知らずに自然と目からは涙が溢れて体が震えまくっていた。恐らく言葉が言葉になっていなかったに違いない。そこはさすがは松井さんでした。その時の状況を汲んで頂いたようで、また改めて連絡します、というコトで後日詳しい話をすることで留めた。あまり記憶に無い状態で、もう放心状態。灯火は消えることなく灯り続けることが出来たのだ。それも都銀で。それもSMBCで。みんなの予想を遥かに超えることが出来た。大きな、大きな、大きな漸進だ。冷えきっていた周囲に灯りを灯すべく、まずは旭化成の東さんに連絡。言葉を交わしている間に互いの心に漸進を感じた。1人で出来る事なんて、とってもチッポケだ。みんなが居なければ私は何にも出来ていなかった。それは明確だ。間違いない。松井さんには本当に感謝感激である。この御恩は、今後一生SMBCと付き合っていくコトで果たすべきと決意した。これで、ようやく土俵に上がることが出来たのだ。<つづく>