聞かれなかったから言わなかった発言。都合が悪くなったら黙りんこ。これでは仕事にならないし勉強にもならない。そもそも伝えるべき責務を負っている者が伝えないと議論には至らないし報告業務すら遂行していない。お客様を獲得せねば、と思っていたら都合が悪くなんてならない。ヤリたくない、という気持ちが念頭にあって、その場その場で返事をしているから都合が悪くなる。計画性バロメーターが地に着くような状態では話にならない。そもそも仕事は大変だ。自分の準備不足を棚に上げて本当に困っているお客様にも関わらず揚げ足をとって断ろうとする諸行が昨今見受けられるが、そんな事は言語道断。困っている折、過去に一度でも助けられた人は、困っている人を助けるべき、だと思うし私自身そうしている。それが責務というものだ。ええ加減、自分の行動に責任を持って徹してもらいたい。いつまでも逃げていないで、、、。そんな性分があるからこそ自分からすら逃げているし、それすら見えていない。さらに隠そうとしてヤルべき順序が前後違ってるのにも気付いていない。各所理由には必ずと言っていい程、言い訳と誤摩化し、そしてズルさ、が見え隠れしている。自然を取り繕うとしても違和感は否めない。
気が付かない振りは気が付かない振りでしか無く、それは自分を守るべき手段であって周囲に良い影響は及ぼさない。私達はプロの家庭教師だ。目の前のお客様の空気を敏感に感じることが出来る。お客様が欲すべき事象を静かに誰にも気付かれないで最高最強の準備を整えアグレッシブかつ絶妙なタイミングで、ここぞ!、という時に効果を適用し反映させるからこそ信用信頼を獲得することに繋がる。意味を履き違えたり根本的に勘違いしてはならない。決して受験塾家庭教師ブランドを見てお客様が歩いてきて下さるのではない。受験塾家庭教師が、お客様から歩いてきて下さるような仕掛け、を創っているからだ。それで歩いてきて下さったお客様に対しては、最高の満足と最高の感動をお届けしなければならない。ただこれは感謝の気持ちを心の底から持っていれば自ずと、そういう気持ちにはなり、大した言葉として受け止める必要もなくなる。それは単なる当たり前の事だからだろう。
準社員から正社員になりたければ、いつでも好きな時に相談してもらえれば抜群の勢いで正社員登用を認めるつもりだ。これは入社当時からずっと言っている事。ただ締日の関係を考慮に入れての話。もちろん準社員であったとしても、ヤリたい仕事、ヤラせて欲しい仕事(お客様に乞うモノ)、ヤリたい!という仕事、オリジナリティーのある仕事、このような様々な事象を実行に移したい気持ちがあるならば、いつでも好きな時に気兼ね無く相談してもらいたい。熱い議論を経たうえでキチンと認めるつもりだ(ボーダーレス)。だからこそ自らが発信していかないと気付いてもらえない。結果が見えないと動かない、という衝動は残念でしか他ならない。ただ自らが発信していけば想像以上の楽しさが見付かるし、結果なんてものは自分自身の力で成功に切り開いていくべきだ。切り開くには大きなストレスが付き物なのを忘れてはならない。アレ嫌コレ嫌でもコレが欲しい症候群に佇んでしまえば何にも成し遂げることは出来ない。虚しくも残念なことだ。
受験塾家庭教師は自由だ。これはお子様にしてもお客様にしてもスタッフさんにしても、そして私自身にしても言えること。ただ言葉だけを見てその性質を勘違いしてはならない。何もかも自分のヤリたいように思い通りにやって良い、というようなものではない。 自由から秩序と責任を取り除くと単なる自分勝手にしか過ぎない。自分勝手というのはタチが悪くて、うっとおしいなぁ〜、という気持ちを宿してしまう。仮に指摘されたとしても、そういう気持ちを隠そうとして無意識の内に的外れな返事を返してしまいがちになる。以後の反省は全くない。それは同じ失敗を短いスパンで何度もする状況が垣間見られるところから説明がつく。状況と慣習と数字は決して嘘をつけないのだ。さすがにコレでは虚し過ぎる。元来より受験塾家庭教師が考える自由とは、一生懸命に頑張れる仕事、想像もしなかった成功体験を得られるキッカケ(接点)、自分の人生の1チャプターを謳歌する為に生きてきた証を残すことが出来る環境、を得るうえで必要不可欠なエネルギーとしている。