ホームページやブログといったコンテンツを創るにあたり、これ程にまで体力が必要である事を話を進めていく内に初めて知った。無論、体力そのモノも限られていたので気持ちが折れそうだったが、むしろそれ以上に自分の知らないところでこんな事が世の中で、当たり前のように動き回っているコトにとにかく圧倒された。そんなコトすら知らなかった自分が恥ずかしくて情けなくて仕方が無かった。けれどもお取引先様いわく、コレは私達の仕事ですから分かんない事があったら何でも聞いて下さい!、という心強い一言。当然の如く心から安堵し全てを任せる事にしていた。
この制作は家庭教師というカテゴリの中で、自分達が実践してきたコンテンツをさらに見つめ直す良い機会ともなっていた。 私は「家庭教師業」という事業を営んでいる傍ら、家庭教師として日々の学習指導にも励んでいる。もちろん登録派遣ではない。事業運営そのモノも登録派遣業を営んでいる訳ではなく、純粋に「家庭教師業」をやっているのだ。そうは言っても世間一般の方々がそんなコトになんて気にも留めるはずがない。家庭教師を派遣してくれる業者だったらドコの業者でも良いはずだ。業界人でなければドコも同じと思ってしまっても無理もない。まぁ〜自然なことだろう。そんな根本認識を解消させて新しい息吹を吹かせる事は、私達が受験塾家庭教師であるからこそ成し得る必要がある。これは本当に難しく必要以上に時間も要してしまう。けれども動かなければ動きださない。だからこそ、その起爆剤としてホームページの心機一転があるのだ。ココは何だか違うから何となく連絡してみよう!、となれば大成功だがこの戦略が上手くいかなければ何もかも全てが終わりになる。一念発起だ。
そこで学んだのがフラッシュやムービー。それに紐付くように「素材」というモノも必要であると学んだ。当初そんな事1つも気にも留めていなかったのだが、ご提案を頂いて目を向けるキッカケとなった。何と無しにしか聞いた事が無かった為、理解するまでには多少、時間を要してしまったが新鮮な心地だった。一先ずムービーというは重たい?のでフラッシュを活かしてアプローチすることになった。そのフラッシュに反映させる素材がこれまた数が多くて良い体力。記憶オボロゲの数年前に、こんなんお金を出して買うヤツおるんか?!、と思った事があったが実際には結構いるようだ。今正に自分で手に入れようとしているからだ。ニーズのある所にチャンスは存在する。ただそこはやはり体力の関係上、フラッシュで活かす画像の購入には至らずフリー素材を使うことになった。恥ずかしながら既に打ち合わせ序盤の段階で体力もフルオーバーを期していたからだ。1度では出来上がらない!、と確信しながら以後2、3度のフルモデルチェンジを行って、本当に良いモノを創り上げることを決意した。向こう2、3年で効果と情報と体力を確保するのはマスト課題だ。とは言っても、やっぱり欲しいものは欲しい!、ということで1ページだけでもホンモノな素材を準備することにした。ただ半端な体力ではいけないだろう。半端な体力で次に繋げてしまえば、次も半端なものになってしまうからだ。
素材1つを準備する、にしても本気で取り組まなければならない。そう考えを張り巡らせながら美容院でカットしていた時の雑談で、良い写真屋さんがある、という情報を得る事が出来た。美容院での雑談でもなかなか良い情報を得られるものである。そして早速当日、連絡をして撮影のご予約をお願いさせて頂いた。実はこれがism様との初めての出会いだ。偶然というのは恐ろしいもので地元で、いいね!、を発掘してしまったは救いだった。良い出会いが重なっていたのも幸いし、トントン拍子で撮影に漕ぎ着けることが出来た。打ち合わせ無しの一発当日、ホワイトを基調として上半身と全身の2パターンをお願いした。あんまり詳しい事も分かんないし、プロはプロに任せる、という考えが自分には根付いていたので、むしろ余計なコトは一切言わなかった。これまた全てをお任せした。初めてのビジネス撮影でめちゃくちゃ緊張していたものの当のカメラマンは笑顔で和ませてくれた。何度も何度もパシャパシャと撮影をしていくに連れて気持ちも少しずつ落ち着いていった。ホームページで活用させて頂く旨をお伝えしていたコトもあって、翌日早朝には納めて頂いた。それは生まれて初めて素材にパワーを感じる瞬間でもあったのだ。
これでホームページ制作にあたっての大凡一様の準備が整った。契約も済み、コンテンツ骨組みも明確になり、素材も準備完了し、そして莫大な数の原稿を整えて、それぞれ提出を滞り無く完了。担当者様からも、また出来上がってたら連絡します!、という言葉を頂いたので後は待つばかり。その間私は私にしか出来ないことを専念することにした。それはブログの書き溜めである。何もかもが初めての試みである、と共に今後一生、家庭教師でやっていく決意が固まっていたからこそ今でも出来ているのだろう。そして大凡1、2ヶ月程度が経過して完成の連絡があった。出来ましたよ!、という言葉を聞いて心身共に身震いが起きたのは記憶に新しい。電撃が走ったからだ。全てのページの確認と帳尻を合わせて2009年05月22日にホームページとブログの両方共を滞り無く開設することが出来た。安堵感と不安感と感謝の気持ちが入り交じる複雑で不思議な気持ちだった。そして、それから3年弱が経過し今では当時の効果からすると28倍程度の効果を得られている。その介もあって経費を除く何もかもが安定推移の右肩上がりとなってきているのだ。あの時に勝負を掛けておかなければ今の受験塾家庭教師は存在していなかったと言っても過言では無いだろう。