トツゲキ人生「病院」

とにかく出来ることなら手術をしてでも早急に解決して欲しかった。懇願すべく掛かり付け医師に話をしたけれど、薬で治る可能性から様子をみよう!、と告げられ意気消沈。とは言っても先生の前向きな配慮には大変感謝している。しかし今は一刻も早く体調を元に戻したかったのだ。自分の中で万事休す。確かに、手術をしてでも早く治して下さい!、と衝動的になって慌ただしく掻き立てても良くはない。とりあえず一週間程してから後日また伺うことにした。

局部からの痛みではあったが身体中至る所で激痛が走っているような感じを受けていた。それも時間を追う毎に激しさが増しているようだ。耐えられない程に痛くなったら迷わず鎮痛剤を飲んでも良かったが、飲んでもしばらくは凌げる程度で、そう易々と痛みから解放される訳もなく悶々と過ごしていた。当然の如く夜も寝れない。寝れない!、からと言って仕事をしようにも頭が働かない。正に病状最悪である。1分が1時間にも思えるような日々。寝れない一夜を過ごした翌日、さすがに耐えられない。当然の如くお盆休みも週末休みも吹っ飛ぶ。翌週には仕事のコトもあったので再度、先生に懇願すべく病院へ連絡。すると衝撃的な事実が自分の前に立ちはだかった。なんと驚いたことに、掛かり付けの医師が休み、なのだ。こんな一大事な時にマジですか?!、もうそんな気持ちである。既に冷静さは失われていた。いけない、とは思っていても痛さから解放されたい。藁をも掴む思いとは正にこのコトでだろう。病状を少しでも良くしたかったので、自分の人脈ネットワークを徹底的なまでにフル活用し、様々なアドバイスを掻き集めて実践した。気が付けば地獄の一週間も早いモノで、アドバイスの効果と処方された薬の御蔭で感じる痛みが少しずつマシになっていた。もちろんだが仕事に行けるぐらいにまで回復。誰にも気付かれずに、お客様にもご迷惑お掛けすることなく乗り切った。

先週に予約した精密検査当日。午前中からバタバタである。病院に着くとスグに検査が始まった。今まで受けたことの無いような検査ばかりで緊張の連続だ。ただ思いの外スムーズに検査が進んで、待合室に入ってから10分程してから先生の合図があった。とりあえず一週間の諸症状をマトメたファイルを握り締め、先生に提出すると同時に、手術はしなくて済むよ!、という第一声。病状悪化の寸前で安定値を取り戻したから手術の必要性がない、とのコト。信じられない一週間を過ごした介があったのだ。ただ向こう5年10年を要して食事制限と体質改善が必要なので、栄養士さんと話し合うことを勧められて診断は終了。ここ一週間は怒濤のような治癒大作戦であった。この機会に健康について精一杯考えてみた。自分が想像している以上に日々、酷使していた由縁だろう。もう若くないのだ。若さを取り戻すべく体質改善を図る為にとにかく運動するコトを決めた。学生時代の献立を思い返しながらカリキュラムを構築し、とにかく仕事が混雑するまでキチンと毎日継続する、という目標も立て、善は急げとばかりにネットでシューズを物色。そして大阪心斎橋から即日調達した。

エクササイズ最初の日。自分が立てたカリキュラムに従って意気揚々と運動を始めたまでは良かった。ラジオ体操から始まり柔軟体操、そして基礎体力運動を経てロードワークで終わり。イメージトレーニングもバッチリ。我ながら良い献立だ、と自画自賛。いざ始めてみるとなると、ラジオ体操の段階で息があがり、柔軟体操でも体がガチガチ。昔はこんなんじゃなかったのに、と小さく愕然。何とかロードワークまでの運動を完了しロードワーク開始。この時点でもうヘトヘトである。距離にして高低差のある2km。正直言ってそんなに大したことはないはずだった。そしていよいよヨーイドン!!、とばかりに快調スタート。調子に乗って跳ばしていると身体の中で、プチッ。どうも左足に重い痛みを感じる。とりあえず走っちゃいけない感じの痛みだ。マジで痛い。いきなりテンション下がって初日だけはウォーキングに変更。それでも痛さは拭えない。一先ず無事?に初日を終え、明日に備えて近くの整形外科で診てもらうことにした。また病院へ行くハメになってしまうとは、なんて情けないのだろう。診断の結果は、急に運動をしたことにより左足後ろにある小さい筋が切れた、ということで全治2週間。法人化を目前に控えているのに、もう本当に踏んだり蹴ったりだ。