17歳の和田成博☆教材にまつわる話。

高校2年生の頃、何となく勉強するってコトが何の為なのか、を少しずつ理解出来てきた矢先の教材にまつわる話をしましょう。

当時、そんなに裕福でも無かった我が家。だからと言って、不幸せだ、と感じるコトは当然の如くなかった。高校に進学してから1年弱が過ぎようとしていた頃、そんな私は私なりにも成長し、少なからずとも幾つか悩み事があった。その内の1つである悩み事。それは子供なりにも感じていた経済状況だ。私立へ進んでいた、という事情も重なって私は私なりにも親に気を遣うようになっていた。親が何を言わずとしても子は子なりに家の事情を理解し大凡、把握しているものだ。勉強をとことん進めていく中で、どうしても教材費というモノが大きくなってしまう。それは、進むべきモノが進むからだ。

母親は当然、勤めに出ていた。だからと言って、問題集を買うからお金ちょうだい!!、とは諸事情を考えると気軽になかなか言い出し難いものだった。まぁ〜そんなモンだろう。それでも進度はお構い無しにどんどん進んでいた。私は私なりに考えて試行錯誤を練に練りまくるしかなかったのだ。

何とかならんかなぁ〜?

よし、とりあえず書店へ行ってみよう!!。今、思うとコレは絶対にやってはいけないコトだ。当然許される事ではない。書店へ出向き、本に手を伸ばし、ページを開き、頭をフル回転させて立ち読む。それも、そこそこ長い時間。そして記憶してしまう。頭の中で答案を作り上げられることが出来たのは、丁度この時だっただろうか。定かでは無いが、本来、数学とか化学とか英語とかの解放の術を導き出すのに大きく役立っている。

幸いにして私は姫路駅経由のJR定期券を持っていたこともあり一律料金だった為、有効期限中は交通費タダを活かしていた。平日の学校帰りに書店へよく繰り出していたものだ。当時は必死だったのか、今思うと本当に情けない事をしていたと反省している。また土日祭日や学校の無い日は、書店や図書館や図書館近くの公園へよく繰り出していた。

そんな感じで、よく勉強したものだ。けれども、立ち読みや図書館での貸借には限界があるというコトを諭すのはそんなに時間が掛からなかった。自分の欲しい答案がのっている問題集は、やはり競争率が高く、スグに書棚から姿を消していた。それを目の当たりにすると後は、悶々とするしかなかったのだ。

「あぁ〜あの解き方、どうやったっけ?。どうしても、あの定理が分からん(汗)」

これでは考えるタイミングと残念感がどいうしても残ってしまう。やはり0円で動くには限界があるのだ。でも、発展途上ではいかん。今もこうして考えている間にも時間は無性にも過ぎていくのだ。次なる手立てを練りなおさんとアカン。

うぅ〜ん、何とかならんかなぁ〜?

親に迷惑を掛けることなく問題集を手に入れるには、問題集を買う、しかなかった。

母親が仕事の忙しい時は、その都度お昼代に500円もらっていた。同時に母親からは、残ったら使っちゃって良いよ、というお告げも得ていた。 そのチャンスを逃してなるものか!?。お昼代としてお金をもらっていたので、お昼ご飯を食べない訳にもいかない。でもお昼御飯を食べると欲しい問題集を手に入れることはできない。両方得ることは出来ないだろうか!?

そんなに考えなくても結論は出た。とりあえず140円のソバと食堂にいつも置いてある御茶を飲む事で、お腹の居心地を整えればよかった。そうすると360円のオツリをゲットしながらもお昼御飯も食べることが出来る。1ヶ月程度経つ頃には、そこそこ問題集代金を確保するコトが出来ていたので、いつもの書店へ直行だった。苦心の末、貯めた現金だったコトもあり、本棚を目の前にすると、どの欲しい本を買おうかと、まるまる1日迷っていたものだ。

けれども少し疑問に気付く事があった。

それは、どう考えても母親が弁当代をくれるのは月に3回程度。360円を3回貯めても1冊程度しか手に入れることが出来ない。私が欲しいのは1冊に留まるはずがない。勉強をすればする程、やればやる程、消費していき、欲しいものは欲しくなっていく。

「これやったら欲しいヤツを全部買う頃には学校卒業してまう。これではアカン。」

早速、母親に交渉した。

「おかん!!一ヶ月の弁当代として3,000円程度くれへんんか?」

当時を思ったら、ええ交渉やったに違いない。というよりも母親は特に何とも思ってへんかったかもしれんが、これはこれで私なりにも息を吹き返した。

もらった途端、3,000円という現金を握り締めて書店へ直行。物色太郎君となり、数分後には、ほぼ一文無しになっていた。同時に残る4週間を、どのように生きるかが私の課題となっていた。とにかく頭と体を使わなくてはならんかった。高校生にして、パンのミミハシに砂糖を眩して食っていた。さすがに家から砂糖を持っていけなかったので、食堂、事務所、保健室をハシゴして袋砂糖をもらっては、まぶして食べていた。噛み噛みと食いながら昼休憩や放課後、そして休み時間を費やして新品問題集に没頭していた。

「俺は何をやってるんや!?」と思うコトも多々。。。

人間は思ったよりもタフで、そんな生活も9ヶ月以上が過ぎると書店におけるヤルべき問題集も底をつく。それに反して私のお昼御飯のモチベーションが高くなっていた。さすがにパンのミミハシがソバに返り咲いた時には涙が出る程の感動だった。パンのミミハシと食堂の御茶だけで9ヶ月以上を過ごしたのだから無理も無い。140円のソバがこんなに美味いと思ったことは無かったはずだ。

幸いにして空きっ腹もなくなり、8時間目終了後の放課後、いつものように教室で自学習をしていた。そこで、どうしても分からんこコトがあったので満を持して、そのコトを教科担任の先生に相談へ行った。

「おい、和田。どないしたんや?、しょうもない顔して。」

「あんなぁ〜、先生。手元にある問題集で分からんところが1つも無いねん。全部出来るねん。でも壁があるんは分かってるねん。その壁を乗り越えたいねんけど、その壁を越える問題集が分からんねん。俺は、どないしたらええんやろか?。もうサッパリや。」

「ほんまか。わかった。ほんなら本館3階の奥の誰も使っていない教室にこい。」

、、、言われるがままにトボトボと放課後の廊下を歩いていった。

「何なん?、先生。」

「ここにあるもん。おまえの好きなだけ持って帰ってええぞ。」

「え、マジで!?ほんまけぇ〜ッ!?」

「ええよ。古いけどな。何年も使ってないから、おまえが使え。」

「先生!!ありがとうございます。助かったわぁ〜〜〜ッm( _ _ )m」

正直この瞬間、この先生が天使に見えました。それからと言うもの私はより一層、徹底的に勉強しまくりました。とことん自分の気が済むまで。そんな先生も今では既におじいちゃんというポジション。その時のキッカケが無ければ今の私は無かったでしょう。問題集を与えてくれた喜び、というよりも、困った時に助けてくれた喜び、を強く感じました。キッカケが合致した時に、それが初めてチャンスと化する、ということを無意識の内に学んでいたのでしょう。とにかく何でもカンでもええ経験になった高校生活でした!!!