医学部医学科への道「12ケ月の挑戦」

リズム

[1]2012・02/25 ー 2012・11/30(279日間)
センター・個別前期・私立一般

[2]2012・12/01 ー 2013・01/18(49日間)
センターの詰め・私立一般の詰め

[3]2013・01/19 ー 2013・01/20(2日間)
センター

[4]2013・01/21 ー 私立一般(5日間程)
私立一般の詰め・個別前期の詰め

[5]私立一般 ー 2013・02/24(30日間程)
個別前期の詰め

[6]2013・02/25・26(2日間程)
個別前期

[7]2013・02/27 ー 個別後期(12日間程)
個別後期の詰め

スタイル

07:00 ー 08:00 起床・朝食 1h

08:00 ー 12:00 勉強    4h

12:00 ー 13:00 昼食・休憩 1h

13:00 ー 16:00 勉強    3h

16:00 ー 17:00 休憩    1h

17:00 ー 20:00 勉強    3h

20:00 ー 21:00 夕食・風呂 1h

21:00 ー 25:00 勉強    4h

15歳の和田成博が英語に向き合ったキッカケ

英語と向き合った動機は不純だった。入学早々の英語の先生がとりわけ若かったからなのだ。若干24歳の新米先生。松田聖子カットにクルンクルンの巻き髪が印象的。青春時代真っ只中だったコトもあり若かれし15歳の少年心にグッとこない訳が無い。けれどもキッカケは単なるキッカケにしか過ぎず、そういう好奇心は一瞬で宙を舞った。授業が始まるや否や、視点は既に先生の教えて下さる内容(英語の文法やら長文読解やら)にスポットライトがあたっていた。熱意や情熱が半端無く香ばしかったからこそ、だろう。この先生ならば今の自分のダラしないバカな頭を打ち砕いて、何でもカンでも相談にのってくれるはず。そう思うや否や気が付けば既に職員室のドアをドンドンドン。職員室中に響き渡るような大声で、○○先生!!話があります、と発狂。

「○○先生。どうしても分からないコトがあるんです。とにかく話を聞いて下さい!!」

先生も私も話し始めれば止まらない。いろんな話をしまくって延々1時間程度が過ぎた。さすがに激しい言い合いが職員室のド真ん中で勃発しているのだから、オマエ達ッうるさい、と檄を飛ばしてくる先生方も当然の如くいた。もちろん私の心の中では、今は○○先生と熱いバトルをしてるんやからオマエ等こそ黙ってろ!!!、と思っていたが言葉には出さなずに無視し続けて話をした。言葉に出したら負けである。今のホットな気持ちを逃してしまってなるものか。

「私も高校の時は英語が苦手で苦手で苦手で苦手で仕方無かったんだよ!!」

「先生!!どないして克服したんですか?」

「私は単語を覚えるのが得意じゃなかったから単文複文重文を1つの文章にマトメて毎日少しずつ単語を辞書で調べながら和訳するようにしたんだ。そうしたら英語に対する嫌悪感みたいなモノは自然と消えていって気が付いたら成績にも現れるような感じになった。でも凄い大変だよ。だって何があっても毎日、毎日、格闘しなくちゃいけなかったから・・・」

「ナルホド!!!要するに出来るようになるんやね。わかった。そうだ、先生!!ゴメンやけど、その問題集を僕にもらえませんか!?」

話や手順を聞いて、これは確かに面倒臭そうだった。けれども英作とかも織り交ぜて勉強しちゃえば二度手間になんなくて一石二鳥の効果が得られるやん。少なくとも、そうするコトで3年後には、この先生や他の先生方を遥かに上回れるやん。そうと決めたら即時実行。徹底的に無理をやってやろうじゃないかぁ====ッ☆このようなキッカケ英語と向き合うようになり泣く子も黙る英文和訳英作を生み出した。

15歳の和田成博が数学に向き合ったキッカケ

私が数学と向き合って勉強するコトになったのは、高校1年生の夏休みに全員参加を義務付けられた補習での出来事がキッカケだった。勉強合宿を目前に控えていた時の数学の授業で行われた小テストで知った事実に気が狂いそうになった。それは思いの外みんなの得点が良かったからだ。そこへ行くと私の得点は40人クラス中で38番。確か60点ぐらいだったように覚えている。裏切りのような悔しい衝撃を噛み締めたのだ。自分の得点が悪いのを別にみんなの責任にする訳でも無かったが、みんなが口を揃えて発していた言葉にヤラれてしまった自分が情けなくて仕方が無い。テスト勉強なんてしてない!!、ヤルわけ無いやん!!、とか言っていたあの子もその子も皆が皆、吹かしていたのだ。言葉をまるっこ鵜呑みにしていた自分が悪いのだが、純粋過ぎるからゆえの悔しさは最大級。気が付くべきだった。勉強に関して言えば誰でも彼でも信用出来ない、と思った初めて知った瞬間だっただろう。優等生ってそんなモンなのだろうか!?、当時15歳のろくでなし和田ぁ〜んには到底理解出来るものではなかった。さらに理解出来なかったコトが瞬く間に重なって、完全に頭の中ではブチギレていた。ケンカ魂にも火がつき燃え盛んな状態となっていた。質問で授業を止めるな!!、休み時間か放課後に聞きにこい!!、と厳しく皆の前で叱咤されたのだ。みんなはクスクス、そして私は恥をかいた。単に分かんないところを少し質問しただけなのに・・・、納得がいかない。何の為の補習で何の為の合宿で何の為の模試直前なのだ!?、と静かに気合いを入れた。とにかく不思議なコトばかりで仕方が無かったので、分からないところが一瞬でも出来れば、教科担任の先生が発したように来る日も来る日も来る日も来る日も夏休み中、毎日のように朝も昼休みも放課後にも質問をしに行きまくった。もちろん職員室にいなければ居場所を探してまで質問に行った。校長室だろうと部活動の最中だろうと自宅に帰っていようと怒濤のように聞きに行っていた。猟奇的な状態で執拗なまでに聞きに行っていたように思う。そういう状況が夏休み中ずぅ〜〜〜〜〜ッと続いていたのだ。それが原因なのかどうかは不明だが、2学期に入ってから、その叱咤した先生は学校に来なくなった。 嫌われるぐらいに、先生が学校を辞めてしまうぐらいに、担任の先生から小言を言われるぐらいに、とにかく徹底的に聞きまくったのが仇となったのだろう。言うなれば確実に見境は無かったはずだ。先生方の迷惑とか都合なんて一切考える余地はなかった。学校というところは、勉強をしに行くところだからだ。分からないところや疑問に思った事を解決するまで聞きまくるのは当然。答えが出ても納得出来ない回答や答案だったらば結論が出るまで、何度も何度も掘り下げて聞きまくっていた。挙げ句の果てに学校の先生でも質問に答えられなくなってしまう次元に気が付けば到達してしまっていた程だった。自分は特に大した事もしていないのに、そんなに早く学校の先生方がお手上げ状態になるなんて不思議で仕方が無かった。まぁ〜でも仕方無い。先生も人間だ、と自分自身に言い聞かせていたように思う。とことん分からないところが無くなるまで勉強した、というコトが立証された由縁だろう。とにかく毎日ひたすら勉強していた。朝から晩まで勉強していた。掘り下げ過ぎまくっていた時に初めてハッとした。向き合うつもりで勉強なんてした記憶は一切無いのだ。それが自然と向き合っていた。それも一番意味不明だった教科にッ(笑)勉強ってそんなモンだと気が付いたのだ!!!

3ケ月弱で人間は変わる

2011年10月31日(月)

学校やめたい、

テスト10点20点うろうろ、

追い掛けない、

将来どうでもええ、

資格試験どうでもええ、

大学なんてどうでもええ、

宿題なんてめんどくさい、

提出課題なんて間に合うはずもない、

友達とゲームする、

勉強しないで漫画読む、

家族とも喋らない、

和田大嫌い、

恐くて涙がでる、

2012年02月06日(月)

学校ガンバル、

テスト60点70点うろうろ、

追い抜く、

将来にああぁ〜してこぉ〜して、

資格試験に合格したい、

大学って何だかオモシロそう、

宿題はやらなアカン、

提出課題は一ケ月前には仕上がってる、

友達と映画に行く、

勉強するから漫画読めない、

家族とは喋る、

和田大好き、

オモシロくて腹が痛い、

センター数学200点を獲得する為の必須アイテム

やっぱりコレと教科書とノート数十冊程度と親御様の愛情だけで、センター数学200点満点を獲得することが出来るようだ!!!立証されるモノは、やはり立証されてしまう。さすがに親子共々、飛び跳ねておりッ。挙げ句の果てにハイ・タッチ☆確かに気持ちも分かる。数学だけで使い果たしたノートの冊数は数知れず。いつものように水が流れるような勢いで消費されていった。ちなみに文系で法学部志望だったり・・・周囲の固定観念を打っ潰したり吹き飛ばしたりするのって、とてつもなくオモシロ過ぎるッ

(; ̄□ ̄)<ガハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ))))))))

5つのコト

基本的には言葉と手書きで説明しながら地道に進めます。

そして宿題提起を必ず行って翌週の授業に繋げています。

子供達の手元と瞳孔に注意を払いながら言葉を掛けます。

難問の際はジックリ考えさせた後に少し背中を押します。

問題の本質から目を反らさずに直向きに没頭してもらう。

医学科受験生センター試験1週間前の状況

私が担当する受講生は基本的に両極端。この度のノートの受講生は医学科受験生に対応しているモノだ。とにかく徹底的にヤリ込んでヤリ込んでヤリ込みまくった現状がご覧の通り。何回繰り返したか覚えていないぐらい繰り返し練習を実行しまくった。飽きるぐらい程に練習しまくった。

ちなみに対応科目はセンター数学12AB、センター生物1、センター化学1、センター地理B、個別数学3C、面接、小論文。 計画表に従って実行しているのだがスコブル良い状況。フツーーーの学部ならば間違いなくセンター試験で圧勝するだろう。しかしながら、そこは医学科であるというサジ加減が間違いなく反映されてしまう。だから最後の面接まで気を抜けない。満点ないしはトップランを獲得しても面接如何では落とされてしまうのが十分に有り得るからだ。

1つ問題集を淘汰させるまでは決して次の問題集には手を出さない。当然だろう。同じ問題集を何度も何度もすることで最初の1、2往復で見えなかったウィークポイントを3、4往復で発見出来たりするからだ。完璧に淘汰したうえで次の問題集に取り掛かるべきと考えている。問題集のツマミ食いは自分の感情を単に満たすだけでしかなく、培うべき力を満たすモノではない。

「1」か「0」をつけていく

毎日ブログ『高校受験とかで、志望校を決める、というコト!!』http://www.jyukenjyuku.jp/blog/?p=5582

学校の先生になりたい、という夢と希望を叶える為の究極の岐路に立たされている若き青年にアドバイスしました。理系の方々ならば比較的、一般的ではないでしょうか!?、簡単に説明致しましょう。とっても簡単なんですよ。

何かしら決める時、メリットがデメリットを覆ったり、デメリットがメリットを覆ったりして結局のところ結論が出ないというコトに至ってしまって、要件がグルグル回っているコトに気が付かないでジャンケン均衡抑制状態に陥る。気が付けば不思議な感覚になって何にも決まらない。

そんな時にこの方法はかなり重宝する。まずはいろいろと考えつく限りの要件を挙げる。大凡揃ったら「1」か「0」をつけていく(上記の毎日ブログを参照下さい)。最後にこれらの数値をそれぞれで合計して結論を出す。要するにポイントが多い方へ結論付けば間違いは少ない。それでも結論が出なければ(総合計したポイントが同点*イメージのようにッ)、次は同点要件の中でコレという要件を選ぶ。そうすることで大凡、説明付けられる結論が出る。合理性に基づいた方法と言われても仕方無いが私は専ら理系だ。

その方法を経て、同志社大学8ポイント、兵庫教育大学8ポイント、そして気になる結論はシッカリと出たが同点!!。こんなコトが起きるんです。そこで私は、御本人と親御様のそれぞれの気持ちと残された可能性と妥当性を明確にさせて、我々に持ち得る情報力を加え、双方共に納得頂けるだろうと思う結論に導くことが出来ました。

やっぱり受験に関わる方々全員が意見を一致させることが一番だと思う瞬間だったように思う。彼の友人は最強にテンションが上がっている最中、彼にも同じような喜びを与えてあげたくて仕方ない!!

いざ!!センター試験に続伸やぁ〜ッ

センター試験を受験される皆様へッ!!私の身辺も結構、丁度良い感じになってきたので普段私が子供達に提起している課題をこの場で出してみました。私の受講生ならば既に御馴染みな戦略でしょう。やんなかったらどうなるか、とっても恐ろしい話ですねぇ〜ッ(;^^)

(課題)

目 標:得点率92%

絶 対:オールクリアー*NO妥協

期 間:2011・11/19ー2012・01/11

ペース:以下の通り!!

センター数学・3パコ/日

センター生物・2パコ/日

センター化学・2パコ/日

センター地理・2パコ/日

 

はセンター試験を3、4往復繰り返したうえでの最後で最後の詰めの作業だったりします。まだ手に付いていない方々がいらっしゃれば大変危険ですので、早々に始められた方が良いでしょう。偶然性の高い要素が多く含まれる試験であるからこそ必然性に変える為の努力を徹底的に行わなければなりません。受験塾家庭教師に在籍される受講生の強さは計画性や戦略に存在していると自負しております。

この時期に至ると、高得点を獲得する為に、という勉強方法はとてもナンセンス。いかに避けられるミスを避けるか、というように勉強する必要があります。ちなみに彼の場合は個別前期も大凡60%程度クリアーさせております。もちろん目の前のノートの内容は全て期日までにクリアーさせないといけないので大変ですが、ただこれは余裕を生むうえで一番手っ取り早い方法だったりしますので取り組ませてまいります。