トツゲキ人生「年健」

一難去ってまた一難。年金機構からある一通の封書が届いた。数少ない社員の為、社会保険をキチンと完備させていたから止むを得ない。生意気にも毎年恒例的な感じを出しつつ内容を確認。すると、どうだろう?!、赤い○検マークが目に飛び込んできた。一瞬、自分の目を疑った。また調査だ。キチンと届けているから大丈夫だ、とは思っていても昨年の税務調査が走馬灯のように脳裏を駆け巡り、挙げ句の果てに運動会を始めてしまう。調査、と聞くだけで悲壮感しかない。居ても立ってもいられず何かの間違いである事を期待し確認すべく、年金機構の適用調査課へ即刻連絡。就業形態的にタイムカードってモノが無かったり、出勤簿と言われるような書類群も無い。ただ似通った書類群を揃えているので問題は無いはずだ。1つ1つ、書類群の有無を電話で確認の最中、終始オドオドしていたに違いない。幸いにして手元に存在する書類群だけで十分、調査は可能である事を確認した。もう覚悟を決めるしかなかった。今更、何をしても無駄。やるしかないのだ。

いよいよ調査当日。会場は三田駅前のキッピーモール。会場に着いて唖然としてホッとした。会場内ばかりでなく会場の外にまで、調査を受ける方々でごった返していた。今日の内に算定基礎届(厚生年金・健康保険)と労働保険年度更新(雇用保険・労災保険)に付きっきりになる予定だったが、そうも思い通りにはいかないようだ。暫定基礎届だけで一日仕事になるんじゃないのか、と不安になりながらも番号札をとって待機することにした。会場では、ビクビクしながらも長い待ち時間を過ごすことになった。その間、本当に心が折れそうな感じになっていたので、手持ちパソコンで作業に没頭。だからと言って心臓のバクバクは抑えられない。調査官は4名。特に右から2番目の調査官は、何だか目の色とオーラが違う。間違い無く厳しそうだ。先立って調査されている方を待機しながら見ていても、明らかに調査時間が長い。増してや調査されている方の雰囲気の変化が半端じゃない。この調査官に調査されている方からは、何かしらの負のドラマを感じる。これはアカン。

時間も2時間が過ぎ3時間が過ぎようとしていた折、いよいよ順番が回ってきつつあった。自分の番号は86番。84番の方が左から2番目の調査官にあたった。この調子でいけば自分が、あの厳しそうな調査官にあたる事は無さそうだ。この調子で進んでくれ、と心の底で叫んでいた。それから数十分が経過し、厳しそうな調査官が85番の札を呼んだ。もう心の中でガッツポーズだ。俺は大丈夫だぁ~~~ッ!!、アリガトウォ~~~ッ!!、と思ったのも束の間・・・。運命の歯車は悪戯にも動き出す。厳しそうな調査官がいきなり、『85番の方ぁ~?、85番の番号札の方ぁ~?、いませんかぁ~?、では次の86番の番号札の方ぁ~!、どうぞ』。何かの間違いであって欲しかった。私の心の中は「うそぉ~~~~~~ん!!、何でなん?!、おーーーい85番ーーーッ。ドコ行ってんのん?!、とにかく出て来てちょうだい。」よりに寄ってこんな時にだ。もうこうなったら聞かれた事を全て包み隠さず正直に話すことを決意した。まぁ~ギャフンと心の中ではぶっ飛んでいたのは言うまでもない。

覚悟を決めて調査官の前に着席。ご挨拶も早々に淡々と質問に答えた。記入漏れのところを指摘されたので記入しつつ、直行直帰であるがゆえの説明をキチンと丁寧に行った。調査も淡々と進み、幸いにして大きな衝撃もトラブルも無く、気が付けば5分6分程度で調査完了。そして最後に調査官と和やかな会話。『個人のようですが良い会社ですね。』「いえいえ、そんな事ありません。まだまだ足らないところだらけです。アリガトウございます。」『ところで、そのTシャツは作られたんですか?』「はい、そうなんです。ユニクロで買って印刷屋さんに持ち込んで作ってしまいました。」『皆さん着てらっしゃるんですか?』「はい、もちろんです。着てますよ。楽に仕事が出来る!!、と笑顔で言ってくれています。』、、、。これで無事に年健調査も滞り無く問題なく完了し、労働保険年度更新の手続を終えるべくして足早に会場を後にした。手続会場でもあるハローワーク三田へ向かう道中、少し思い出したことがあった。あの調査官は実のところ、私が社会保険の認定を受ける際に担当してもらった面接官だったのだ。何か運命的な出会いを感じた。

毎日ブログ『トツゲキ人生「不明」』

とにかく頑張ります!、という頼もしい言葉。面と向かって発した言葉だっただけに私自身、大きく期待を寄せていたのは間違い無い。働き始め当初は、家庭教師で正社員、という就業環境に採用した二人共が不慣れさを残していた。けれども必死で喰らい付こうと努力しているように見えていたので、私も負けじとその努力に報いるべく、仕事が終われば労を労う為に毎晩のように電話を入れ、たわいもない話に花を咲かせた。時には叱咤激励を織り交ぜて、互いに反省し互いに善処する術を見出だした。とにかくいっぱい喋って、とにかくいっぱい食事をした。そうやって互いの信頼関係を構築すべく日々、1歩1歩だったけれども直向きに切磋琢磨しながら仕事をしまくった。もちろんの事だが、困った事があれば直ぐに相談にのって一緒に解決したり、必要な物があれば直様、準備をし直接、自宅へ届けたりもした。仮に時間が無かった時でも即時即日、郵送で発送して、とにかくスタッフさんが困らないように頭と足と手を尽くしきった。もうとにかく必死である以外の何ものでも無く、意気揚々と順調に進んでいた。何の疑いも無くそう思っていた。

けれども実のところ、そう思っていたのは自分だけだったのだ。あるコトを境に事態は一変。ある週末の夜、いつものように私とマネージャーと某スタッフ三人で一緒に食事をしていた。また来週からも頑張ろうぜ!!、というエイエイオーな感じの和やかなムードで会食を終え、その場を後にした。そして次の日、就業時間であるにも関わらず、そのスタッフに連絡が繋がらない。多少、不自然に思ったが、何かしらの状況で圏外なのかな?!、と思ってしばらく返信を待った。すると直ぐに折り返し連絡。自分も急いでたので明日の気象状況に対する対応方法を伝えて直ぐに電話を切った。不自然な動きなんて全く無かった。それから2、3日が過ぎて何の気なしにいつものように仕事終わりに電話をした。ところが幾ら電話をしても繋がらない。とにかく繋がらない。携帯電話に掛けても出ない。心配になって自宅へ伺うもピンポンを鳴らしてたところで家にいる気配がない。これは緊急事態であるかもしれなかったので、県外の実家へも連絡。いずれも不在。とにかく心配で仕方が無かった。ただそうは言っても明日のお客様がおられる。お客様の保護を最優先に考える必要があったのだ。起きてしまっているコトは事実。全てを包み隠さず正直に、真っ正面にキチンと頭を下げ、説明させて頂くなくてはならない。よしヤルぞ!!、スタッフ総動員で駆けずり回った。

お叱り賜り辞められる方もおられた。そりゃそうだ。当たり前のことである。全てのお気持ちを真摯に受け止めながら、誠実に事情を説明させて頂きながら1件、1件回らせて頂いた。留守であらば連絡をし、アポを取り付けお伺いさせて頂く。連日連夜その繰り返しであった。スタッフみんなには本当に感謝している。辛かったに違いない。でも一番、辛い状況なのはお客様だ。それを言葉では表現せずともスタッフ皆がヒシヒシと感じ、黙って今ヤルでき事に頑張った。そうこうしていく内に不穏な動きや辻褄の合わない工作が浮き彫りになってきた。1本のツルを引っこ抜けば出てくる出てくる隠し事、さらに故意的に報告しなかった事や有耶無耶にし放置していた事ばかりなのだ。説明をつけるべくして一連の行動を分析し、そして1つの結論に達した。計画的に何もかもをスッポカして逃げたのだ。あの時あの夜の会食は何だったのか?!、前の日に意気揚々と皆でワイワイしたあの時間は何だったのか?!、1分1秒が1時間と思えてしまう程、悔しくてたまらなかった。

全てのトラブルも一様に完了したり、未然に防ぎつつ状況は、時間と共に徐々に落ち着いていった。ただ私の心は一向に落ち着く気配が無い。いろんな事が有り過ぎて、訳が分からない状態が続いていた。信用していたのに、、、。裏切られた気持ち、とは正にこの事だろう。頭の中で何かがグルグル回っている。私達も反省すべき点はたくさんあったに違いないが、裏切ったり騙したり隠したり放置したり逃げたり、してはならないはずだ。世の中がそんな事を許すはずも無い。そんな変な心境の中、悶々としながらも決心したことがあった。お客様皆様方の為に、スタッフみんなの為に、そして、マネージャーの為に、私がヤルべき事を絶対にやる必要がある。良い人材を確保する、という大変さを身を以て知った失態だった。

トツゲキ人生「審査」

就業環境も整えたので、いざ求人募集、とばかりにハローワークへ直行。この時ばかりは意気揚々。求人担当の方ともいろんな話をしながら募集準備を整える。もう小慣れたものである。午前中お昼間過ぎに募集要項を持ち込むと大凡、翌日には掲載アップされる。またハローワークだけでなくインターネット上でもアップされるので期待大だ。ちなみに費用は一切掛からない。全国に求人募集要項が翌日掲載されて費用も掛からないのは大きな強みである。いよいよココからが勝負だ。自分の編み出したアイデアが世の中に受け入れられるか、が表立つ瞬間。ドキドキしながら次の日を待つことにした。翌日、早速オープン11と同時に問い合わせの連絡が入ってきた。もちろん胸も高鳴る。単なる問い合わせ、名乗りもしない失礼な問い合わせ、深みのある本気そうな問い合わせ、活き活きとした元気な問い合わせ等々、千差万別なモノばかりだ。それからしばらく立て続けに連絡があり中には、エントリーシートを送ります!、というところまで話が及ぶこともあった。時間に伴って求職者からのエントリー数が増えるのは安堵感を与えてくれる。ただ勝負はここからである。誰しも彼しもハイハイ入社させる訳にもいかない。それはアルバイト感覚で、ワガママ有り気で、正社員や準社員になってもらって仕事をしていては、とても困るからだ。

ハローワークの御蔭もあって連日、問い合わせ数は増えていった。とりあえずこの度、創り上げた募集要項はまずまずと言えるのだろう。問い合わせ件数を見れば一目だ。ただコレで甘んじてはならない。どんどんブラッシングを掛けていく必要があるのは十分に理解している。そうこうしている内に幾つかエントリーシート等の書類群が届いた。もちろん即時即日チェック。ただ一見、何とも言えない書類群ばかりだ。学識相応の学校を卒業しているものの前職前々職を直ぐに辞めている。写真イメージは穏やかなのに字が細く荒い。誤字脱字がとても多いのに、国語の対応希望、というコメント。もう何とも言えない。正社員の書類選考なのにナゼにこんな杜撰なのか?!、ショッキングな書類群ばかりである。そんな状況下でも面接審査に漕ぎ着けることの出来る書類群も幾つかあったのは幸いだ。けれども中には面接の日取りを約束するべく連絡するのだが、予想だにしない障壁が存在していたりもする。それは「現在お客様の都合でお繋ぎすることが出来ません。」というアラート。おいおいマジでか?!、正に意気消沈である。そんな難点を幾つか搔い潜り、ようやく面接審査を行うことが出来る現状も稀ではあるものの存在する。10通やって1通2通有るか無いかの奇跡である。実際のところコレが現実なのだ。

晴れて面接の日取りも決まり、いざご挨拶。当初、責任感バリバリな事を言うが、発言と行動との誤差、つまり矛盾点を指摘するとショボン。志望動機を聞けば、待遇を指差しあぁ~だこぉ~だ。待遇が良い事なんて百も承知だ。そんな事を聞きたいんじゃない。働きたい理由を聞きたいのだ。挙げ句の果てには何にも聞いていないのに、教師歴ウン十年!、○○中学○○大学を合格させた!、というような押し切り発言を終始繰り返したりする。いろんな方々がいるのもまた世の中。だからこそ面接審査は必要なのだろう。幸いにして不思議ちゃんばかりでも無く、会話が成立する方々も存在したのは救いだった。2ヶ月3ヶ月を経て、数十通の書類選考の中から数人程度の面接審査を経た上で2名を採用することにした。面接を乗り越える為の面接対策をとるのではなく、仕事を乗り越える為の面接対策をとってもらいたいと実感した求人募集であった。

トツゲキ人生「一変」

どんどん背筋が整っていくことを日々、実感していた。この波に乗るべく無理をしてでも様々な福利厚生的な面の整備に務めることにした。そこで、まずは給与体系の整備だ。これは弁護士兵頭先生からご教授賜った事に従って基本給、残業代、賞与、昇給といった社会通例当たり前の制度を日程表に当てはめキチンと整えた。日頃から闘ってくれているスタッフさんの手元をより厚く、そしてより適正な配慮で以て日頃からの諸行に臨んでもらいたかったからだ。その為に必要な措置として正社員・準社員の各種就業規則を社内に反映させ、何もかもの契約書類を各スタッフに全て更新してもらい、添付書類の種類も増やし提出してもらった。家庭教師業という就業形態では恐らく有り得ない秩序が宿されている環境であろう。個人的には、家庭教師という職人を育てる就業形態である、と一方で認識している。

次に手当と費用について考え、支給方法にメスを入れた。これは税理士渡部先生からご教授賜った事に従って1つ1つの勘定を選別し、経費立替金、という名目であらゆる費用を経費支給することにした。これは直行直帰という就業スタイルであるからこそ成し遂げることが出来るものだ。会社から支給する金額が同じでも「手当」というだけで、いろんなバックグラウンドが芋づる式に付きまとう。よって「経費」として支給することで、見えない何かを抑えることが出来るのだ。これは事業所サイドにもスタッフサイドにも良い事いっぱい。言葉1つでぜんぜん違うのだ。そんな世の中は本当に上手い事出来ていると心から思った。とにかく働き易い環境、というモノをとことん導き出すべく、我が社の懐が空っ穴になろうとも何とかして整えまくり、1つ1つ順序立てて計画立ててタイミングを見ながら適用した。燃料代は実費精算、ただし私用を省くことが大前提。通信費は明細有り気で一律支給。オイル交換やバッテリー交換といった消耗費も全て該当箇所に従って実費支給することにした。動く、に関わる費用を可能な限り精算することにしたのだ。

最後に休日について考えた。年間休日数と有給休暇の兼ね合いを労働基準法にのっとり就業規則ならびに雇用契約書にも反映したうえで実現させることに繋げた。と言っても私の力では到底、導き出すことが出来ない。言うまでもなく全て弁護士兵頭先生によるご尽力によるものだ。本当に先生様々である。これで各スタッフも安心して休むことが出来るばかりだけでなく、タイミング如何では「連休」という夢のスパンを実現することも可能だ。もちろん、お客様にはご迷惑を掛けない程度で行わなければならないのは当然である。教育業界であるからこそ自分勝手に、休みたい時に休んでいては困るし、日頃より受験意識を抱えているからだ。そんな時期に無理を言う場合でも、事前に相談するよう心掛けているのだが、幸いにしてスタッフの方から声を掛けてきてくれたりする。本当に良いスタッフ達である。とは言っても中には、ルールだから発言で休んでしまうスタッフもいるのも事実。規則であるからこそ止むを得なくも歯がゆい心境は残る。ただほとんどのスタッフが公序良俗の範疇で動いてもらえるので大変、助かっている。

給与、経費、休日という3ポイントを先生方のお力で見直すことが出来た。正しく就業環境は一変した、と言える。かなり働き易くなったに違いない。そこで早速、求人募集を掛けてみて驚いた。求職者からの問い合わせ件数が以前にも増して殺到しらのだ。さらに年齢水準も下がってきた。けれども良い事もあれば良くない事もある。残念なことに待遇につられてエントリーしてくる人も増えたのだ。待遇に見合った仕事が出来れば良いのだが、出来ない者が多過ぎる。にも関わらずエントリーしてきて失礼なことばかり聞く始末。家庭教師の業界はどうしても、アルバイト、という考えが幅を利かせているようだ。

トツゲキ人生「背筋」

分納ながらも計画的に納める段取りを整え、納めるモノを全て納めました。これにより懐具合はスッカラカン。もう本当に何も無ければ何も新しい事なんて一切出来ない状態。さらにキャッシュフローの問題がヒヤヒヤ感を後押しする始末。ソ~~~ッと仕事せなアカンのは大変だけど、自分の勉強不足が原因なので自業自得。ただ見方を変えれば、このタイミングは何かを変化させる丁度良い潮時なのかもしれない。背筋をピンッと伸ばす為、契約関係や終業環境について弁護士兵頭先生に相談勉強させて頂く事にした。そこで各種契約書類の見直しや就業規則の作成をお願いするべく、毎週のように打合を開いて頂くことになり以後、3ヶ月4ヶ月に渡りご尽力賜りました。その間、間違いなく自分の無力さが露呈していたのは言うまでもありません。恥ずかしさ半面、この機会に社会のアレコレを勉強させて頂いたのです。

そんな社会の話を学ばせて頂くにあたり、法人化、というキーワードが脳裏でチラつき始め、例の如く打合最中ではあったが会社設立の件を先生にご相談させて頂いた。そこで早速、司法書士の先生をご紹介頂けることになった。私から話を持ち出し相談させて頂いていたものの心臓はバクバク。それもそうだ。一時は法人化を考え、書類を揃えて法務局の窓口まで赴き、不発に終わった経験を持っていたのだから無理も無い。それが事もあろう事か、以前にも増して話がトントン拍子で進んでいくような気がして仕方が無かったのだ。中途半端な気持ちで相談して訳では無かったものの何となく不安と期待が入り混じっていた。もちろん先生方には微塵も不安に思ったことも思うこともない。新しい事に挑戦するんだ!、という気持ちが起きていたからこそ何とも言えないハラハラな気持ちになる。そうこうしている内に約束の日取りも決まり、書類関係の吟味が話進んでいく中、直様その日がやってきた。

それは司法書士の西村先生との初めての出会いだった。ご紹介により実った出会いであるからこそ必ず良いご縁にしなければならない。後戻りは決して許されないのだ。名刺交換も早々、本題に入らせて頂いた。会社を設立する、というコトや、資本金とは何ぞや、というコト。設立に関わる費用や期間等そんな当たり前のアレコレを分かり易く学ばせて頂いた。会社設立すなわち法人化、という意義を生まれて初めて専門家の口から聞くことが出来た。年内には絶対設立せなばならない。自分が今までやってきた事は、いったい何だったんだろうか、と反省した。半端では無い!、と思っていても実質的には半端だったのだ。20分30分という打ち合わせはアッという間に過ぎ、沸々と湧いてくる野望を胸に、その場を後にした。

様々な角度から社会というモノを学ばせて頂く内にいよいよ、希望への道、小論文+α、という2つの契約書類と就業規則が完成した。もう何と言えば良いのか出来上がった瞬間は、胸が熱くなる、という思いが心中を巡り回っていた。自分が創り上げてきたコンテンツに兵頭先生のご尽力が注入され、パッケージング化させることに成功したのだから無理もない。誰もが理解し易く、誰もが使い易いモノを導くことが出来たのだ。このポイントは手間隙の節約に大きく貢献するだけでなく、迅速かつ丁寧に事実関係を進ませることが出来る。お客様にとって安全安心な環境を構築することが出来たことは大きな喜びだ。お客様の動向を見ながら、コンテンツを具現化する、というのは大変な事だけど今までに無いヤリガイを大きく感じた。2つの柱を創り上げることに成功し、スタッフさんが秩序に従って働ける環境も創り上げることが出来た。けれどもコレで満足してはならない。今後もさらなる吟味に勤しむべく、とことん磨いていくことを心に決めた。

トツゲキ人生「納付」

2012年を目前に士業の先生方と契約を締結した。すこぶる気持ちが引き締まる思いで日々を過ごす自分がいる。そんな中、税理士の先生から一本の電話。その第一声が、税務調査の件だけど話がついたよ!、というお言葉。その後真摯な気持ちで話に耳を傾ける。 短いようで長いような2ヶ月だった。胸が熱くなり肩の荷が下りる。後は税金を納め直して完了。とは言え3年分の税金諸々を納め直さないといけないので、義務、とは言えども何とも言えない複雑な気持ちになっていたのも事実。どのくらい体力を温存しておくべきなのだろうか、まったく予想が出来なかった。とにかく掻き集めることが出来るだけ掻き集めることにした。自分がもっとキチンとしていれば、こんな事には決して至らなかったはずだ。経理に対する重要性を再認識すると同時に自分の甘さを嗜めて深く反省。これからは先生方の忠告にシッカリと従いながらキチンと手元の諸行を改善していくことにした。

税務調査の決着もつき、それからしばらくすると所得税、市県民税、消費税、健康保険料それぞれの納付書が毎日、毎日、次から次へと押し寄せてきた。その量に恐れを成して事実関係を一致させるべく各所官公庁へ1つ1つ丁寧に問い合わせ、確認一致する日々。とてつもない量の納付書だったからだ。どれか1つでも良いから、不手際で送られてきた納付書があってもらいたかった。確認作業を一様に、敢え無く全てキチンと処理されて送られてきた伝票あかりであるコトが分かった。奇しくも微々たる期待は叶わなかった。もうこうなったらヤルしかない。もちろん、これら全ての伝票に明記されている期日と数字が重々しく伸し掛かる。さすがに瞬時に掻き集めただけの体力では到底及ばない体力。でも処理しなければならない。処理しなければエライことになるのは間違いない。無いモノは無いので、分割納め、をお願いすることにした。キャッシュフローなんてあったもんじゃなかった。初めて経験する底無し状態に生唾を飲み込む。もうこんな事態なのだから、かっこ悪い!!、なんて言ってられない。そして直様、納付計画書なるものを作成し各所官公庁へ出向き、相談、を片っ端から掛けていった。当初、突っぱねられる、と思っていたが終始穏やかに話が進み、事前に作成した計画書を見て相談内容を快諾してくれた。話に耳を傾けて向き合ってくれている。まだまだ世の中捨てたもんじゃないようだ。役所の見方が一瞬だが少し良い方向で変わった。オカゲで何とか持ちこたえる事が出来たのだ。また心が改まった気がした。

悪戦苦闘しながらも年内に全ての納付段取りを整えて、一部の納付を終えた。言うなれば安堵の極みであったに違いない。大きな仕事をヤリ遂げた後は決まって自然と体調を崩しがちになっていたからだ。無論、今回もその事態は起きていた。年齢も年齢なだけに心身共に緊張を一気に解いてはならないようだ。ただ今年は例年にも増して体調の具合が思いの外、悪い。一先ず熱を測ってビックリ。即行、掛かり付けのクリニックに診てもらう事にした。ここに来て何故にインフルエンザなのだ。信じられない。予防接種をしているにも関わらずインフルエンザに掛かるなんて・・・。まず間違いなく招かざる客であった。一難去ってまた一難。次から次へと問題が起きるのは本当に勘弁して欲しい。まぁ~でも腰を据えて税金やら健康保険料やらを納める事になったのだから、この機会に思う存分診てもらうことにしよう。

トツゲキ人生「緊張」

後は税理士の先生にお任せして日々の業務に没頭することにした。状況そのもの全く気にならない!、と言えば嘘になるが、心の痞えを取り除かれたような気持ちになった。士業の先生方とはコレ程にまで力強いものなのか?!、認識が甘かった事を幾分反省した。自分の社会的ポジションを考えても、士業の先生方に業務をお任せする、なんてまだまだそんな次元ではないと認識していたからだ。気付かない内にそうでもなくなっていたのだろう。今回の一大事もあって冷静に考えた。世の中、というのは自分が思っている程、なぁ〜なぁ〜、ではダメなのだ。真摯に向き合って歩まなければならない。この機会にどんどん成長するべく、前々から気になっていたコトを精査し改善することにした。そうでないと今のままでは、置いてけぼり、を喰らってしまう。未だ見ぬ次元に自分を放り込むべく、受験塾家庭教師、という事業の仕組みを根幹から改めることにした。

最初に着手した改善は契約書類関係の整備である。とは言っても自分にとってしてみればサッパリ分からないことばかりだ。何をどう考えて、どのように判断すべきなのか、が全く分からない。ネットで検索しても今ひとつ掴めない。やはりネット上に落ちているのはあくまでも契約書を上手い具合に作成する為だけのヒントしか無いのだ。自分が思い描く答えそのものは落ちていない。それでもどんどん検索し、あるキーワードが頻繁に目に付いた。契約書と言えば弁護士。なるほど?!、と思いながら次は「弁護士」というキーワードに着眼点を置いて再び検索しながら考えた。一層のこと顧問契約を引き受けて頂ける弁護士の先生はいらっしゃらないのだろうか?!、という気持ちのまま一か八か[兵庫県三田市 弁護士]で検索してみた。すると、どうだろう。発見することが出来た。ホームページを隅から隅まで一部始終読みまくり、ブログも読みまくり、お顔や表情も確認した。とにかく最初の打ち合わせでは、活きた質問、を行うべくネットワーク上の情報を隈なく調べて認識した。そして直様、連絡させて頂いた。心臓はバクバクである。なんせ自分のレベルでは当然、恐れ多いレベルの方々。それにお付き合いさせて頂く事になると、一生のお付き合い、となるからだ。その事を肝に命じて緊張感を持ちながら慎重に最初のアポイントメントをとる。出だしキチンとご挨拶するのは当然だし、粗相の無いようにしなくちゃいけない。人生の先輩であり、かつ、士業の先生方であり、一生お付き合いさせて頂くからこそ無理も無い。電話の最中、コールバックの時間が何時間にも思えた。喜作な感じで約束も取り付けることが出来た。

初対面当日、緊張感マックスな時がやってきた。名刺交換に始まり自己紹介。席に付きいろんなお話をさせて頂いた。ほんの束の間の出来事ではあったものの、想像以上にご指南ご意見を賜ることが出来た。目から鱗である。感激以外の何物でも無かった。同時に知らなさ過ぎる自分が恥ずかしくてたまらなかった。感激と反省の連続であったのは間違いない。今まで感じた事の無い神経が起動する感覚とは、恐らくこのようなコトをいうのだろう。楽しい時間は過ぎるのも早く、最後に顧問契約におけるご説明があった。もちろん間髪入れず契約承諾をお願いした。検討期間なんて不要である。大きな価値が存在しているコトが実感出来たのだ。不明な点や認識不足は恐らくたくさんあるに違いない。けれどもそれらは契約を結び、お付き合いさせて頂く中で、払拭すれば良いのだ。長いお付き合いをさせて頂くつもりなのだから心配なんていらない。そんな心配よりも今後、起きようとしている未だ見ぬムーブメントに対してのワクワク感が止まらなかった。この瞬間、受験塾家庭教師の顧問弁護士としてご尽力賜ることが決まった。兵頭先生とは間違いなく長いお付き合いになると確信し、ご挨拶最初の打ち合わせを終えた。自分の人生を大きく変えることになろうとは、この時まだ知る由もなかったのだ。

トツゲキ人生「調査」

税務署の職員さんから指示があったまま、税理士の先生から言われるがまま、準備すべき書類群、伝票群を準備することにした。出入りを追跡出来る収支関係、お客様との契約書類関係、銀行ゆうちょの口座関係、社員従業員の在籍関係その他、諸々これら全ての書類群を過去3カ年分が必要だったのだ。キチンとではなかったものの6年も7年も個人事業をしていれば比較的、容易に書類群を集めることは出来た。事業を自分なりに進めて行く中で工夫し、見様見真似であったが自分なりに経理を進めていたこともあり、書類は殺伐としていたものの数字の管理だけは、手の届くところで保存出来ていたのだ。後はとにかく告げられれば直ぐに提示出来るぐらいにしておくだけだった。もう何を言われようと何を突っ込まれようと臨むところである。全部が全部、迎え撃つことは出来ないだろう。とは言え負けてもタダで転ぶワケにはいかない。勝負の鉄則である。さすがにこの時ばかりは覚悟を決めた。逃げるのでは無く、隠すのでは無く、全てを見せて突っ切ろう。明るみになった事実関係で先方より判断を賜り、告げられる事を全て受け入れることにしよう。良くも悪くも、良い機会点に位置しているかもしれない。とは言っても、悶々以外の何物でもないのも当然だ。

いよいよ調査日がやってきた。心臓バクバクである。とにかく喉が乾いて仕方ない。そんな時、税理士の先生が我が基地に到着。迎え入れてお茶の段取りをするや否や、税務署の署員さんも到着。互いに緊張な面持ちでご挨拶も早々に、調査が開始された。どんな事業をやってるんですか?、時間はどのくらい働いてるんですか?、売上は大凡どのくらいですか?、何人ぐらいのスタッフさんがおられるんですか?・・・というフランクな話から始まり、当初想定していたよりも落ち着いた雰囲気で話が進む。印象としては序盤、和やかだ。一様に確認作業も完了すると次は、幾つか証拠のようなモノを目の前に置かれてから、矢のような質問攻めに合う。なに?、なぜ?、なに?、なぜ?、の応酬だ。要するに辻褄が合ってるか否かの問い掛けなのだろう。誤魔化す気持ちは毛頭無かったので、押し問答に対して正直言って動揺はあったが、絶妙なタイミングでの先生の差し込みの御蔭で何となくだが結論へと導くことが出来た。ただ最終結論ではないので油断は出来ない。腹を括っていたこともあり終始、落ち着いて話が出来た。最後の最後に署員さんから、調べたいことがあるから書類を幾つか持ち帰らせて下さい、とのこと。当然の如く、言われるがまま全て持ち帰ってもらうことにした。時間にして、だいたい2時間程度が過ぎていただろう。肝心要な時に決して手元を濁してはならない事を学んだ。

一件落着とは言わないまでも帰り際に先生から一言、「もっとキツイ感じで突っ込んでくると思っていたがそうでもなかったようだ。後は私が窓口になって対応するから和田さんは今の仕事を精一杯やって下さい。大丈夫だよ!!」。。。その一言に感無量。言葉が出ないぐらいに感謝感激でしょうがなかった。先生と一生付き合っていくことを心に決めた瞬間だ。

トツゲキ人生「困難」

夏の暑さも日を追う毎に、小マシになっていた9月の早朝。とある一本の電話が朝の目覚めを誘導した。電話に出た家内が血相を変えて呼びに来る。税務署から電話だよ!!、とのこと。朝起きて歯磨き洗面の寸前だったこともあって頭の中は間違いなく呆然。いつもの尖った感覚は鈍かった。9月10月のこの時期に?、ナゼに電話?、さっぱり分からずとりあえず電話に出て話を聞いてみた。電話の面持ちは普通な印象だったが、内容そのものは間違いなく普通ではないのを明らかに理解出来た。署員さんいわく、調査に行きますので・・・!!、という一声。起業後、初めての言葉に頭は真っ白。だからと言って特に何も悪い事をしていない。それでも気分は憔悴。そりゃそうだ。税務署の方がわざわざ自宅にやって来て、税務関係書類を調査するのだから無理もない。火の無いところに煙は立たない、という見解を持ち得ているからだろう。自分の気が付かないところで煙は立っていたのか・・・。頭の中では、なぜ、なぜ、なぜ、という自問自答が巡っていた。まず何をすべきで何を用意すべきなのか、とことんサッパリ分からない。どうすれば良いのだ?!、事の重大さに頭はパニック。考えも焦る。いつもの冷静さが覚束ない。とにかく落ち着きを取り戻す為に朝ご飯を食べるものの味がしない。そこで環境を変えて台所で牛乳を飲みながら考えた。ただ今の現状で1つ言えることは、自力では全く対応出来ない、ということだ。誰に協力を願うべきなのか、をひたすら考えた。気が付くまでにそう時間は掛からなかったはずだが、知らぬ間に1時間以上も過ぎていた。時間の流れすら、正常に感じることが出来なくなっていた。

税務と言えば税理士の先生ではないか?!、一筋の光が射した。以前に記帳相談でお世話になり掛けていた折、私の体調不良が原因でお断りせざるを得なかった事があった。当時の事を思い出すと本当に情けなくて仕方が無い。そればかりでなく先生にも失礼を働いてしまったので大変、申し訳無い気持ちでいっぱいである。とは言え、そんな事を言ってる場合ではない。恥を忍び、満を持して再び相談させて頂く事を決めた。デスクの名刺に手をやりドキドキしながら電話をした。「先生!ご無沙汰致しております。以前記帳指導でお世話になりました和田成博です。当時は本当に申し訳ありませんでした。そこで折り入って御相談があるのですが、こんな私でもお話聞いて頂けますか?!」、恐らく電話越しでも、その必死さは伝わっていたに違いない。ここで先生に見放されてしまっては、もう背水の陣であった。それを感じてか、快く相談に応じてくれた。胸が詰まる思いだった。相談当日、ご挨拶も早々に本題に入った。税務署の方から、調査をします!、という事で連絡がありまして・・・。その言葉を察して素早く答えを出して下さった。税務調査、とうものらしい。法人なら3年に1度、個人なら7、8年に1度のペースで、税務署の署員さんが帳簿なり何なりを調べにやって来るようなのだ。税理士の先生から幾つか質問を経て以後、先生の元で税務調査への対策として戦略を練って下さるコトとなった。私の頼りない感じは正に一目瞭然だったに違いない。恥も失態も何もかも全て、さらけ出して今後ご尽力賜らせて頂くしかない。全てを任せることにしよう。何とかなりそうな雰囲気を宿しながら相談も一様に完了し先生からの、大丈夫ですよ!、という一言に心が少し救われた。同時に、世の中へ大きく羽撃くタイミングであることも悟った。1人で世の中に羽撃くには、限界があるのを従順に承知していたものの、税務調査の連絡をキッカケに改めて気が付いたのだ。不幸中の幸い、に導くしか道はない。

トツゲキ人生「神戸」

オリジナルTシャツに袖を通し、額の汗を拭いながら仕事に明け暮れる日々。事業もそこそこ順調に動き出していた事もあり、夏の頃合いを良い意味で感じていた丁度その時、何気無しにパソコンで[家庭教師 神戸市]とグーグル検索してみた。すると、どうだろう?!、グーグルマップ上に受験塾家庭教師が表示されない。そりゃそうだ。三田と姫路にしかオフィスを設置していないから無理もない。当然の如く理解が出来る。自分にとってしてみれば、オフィスを神戸に設置する、なんてのは正しく大きな挑戦。灯台下暗し、でもなかったが一歩踏み出す勇気が無かった。確実に節約太郎君と化していたミスター合理主義は、節約で温存していた体力を打ちまけるべく吟味に吟味を重ねた。いくら考えても、グーグルマップ上に表示されたい!、という気持ちは揺るがない。ならば神戸にオフィスを設置するしかない。そんなヤリたい病が沸々と湧いてきた。ただそこに表示されるには、神戸にオフィスを構えている、という事実関係が必要である。しかしながら「神戸」という立地条件と自分達の仕事の動き方を照らし合わせると必要性に疑問を感じていたのも事実だ。それども、お客様を増やす為に、働く人手を増やす為に、そして漸進する為に、新しくオフィスを設置することは不可欠。

善は急げとばかりに、とにかく動きまくるコトにした。場所を決めるべく地図を広げ、車に乗り込み、いざ発進!!。神戸の端から端まで隅々を動き回ったが思いの外だだっ広い。須磨区が良いのか、中央区が良いのか、東灘区が良いのか、そんな感じで動きまくったものの、やっぱり定まらないし間違いなくラチが明かない。そんな訳で毎度のようにコンパスを持ち出して円を描き、そこに時間的な距離、物理的な距離それぞれで相関性を見出だし、一筋の結論を導いた。神戸市中央区だ。大まかでも場所が絞れれば次は、具体的にオフィスとなる物件を探すコトとなった。相場すら知らない状態での飛び込み物件調査は大変危険だ。だからこそネットで調べまくり幾つか物件候補をあげる。早速、中央区へ移動。大丸近くの駐車場に車を突っ込み、旧居留地、三宮のあっちこっちを数時間掛けて歩き回り目星をつけた。その勢いでポートアイランドにも車を走らせた。ポートアイランドでの調査は車を駐車場へ突っ込む程はなかったので、時間掛からず目星を付けることが出来た。最終的には国際会館、旧居留地、海岸通、中公園という4つ。これからが本当の勝負だ。

物件詳細を見せてもらう為、不動産屋さんに事前連絡をした。想定内ではあったものの問題発生。旧居留地ならびに海岸通の目星を付けた物件は既に埋まっていたのだ。電話の段階で断られるのは大変、残念だが止むを得ない。挫けることなく次なるステップとして神戸国際会館に事前連絡をした。幸いにして約束を取り付けることが出来たので即行お邪魔させて頂いた。いろんな説明を頂いてから館内を案内してもらった。はっきり言ってメチャクチャ便利だ。ココならば未だ見えない可能性にも囲まれているし、何もかもに迅速対応が出来る。そればかりでなく駐車場も近いしJRにも近い。最後の最後に数字を聞いて度肝を抜かれた。法人価格とはこういう事を言うのだろう。予算も気持ちも遥かにオーバー。でもとてつもなく良い勉強になった。大きな目標だ。そして最後の物件を確認する為、不動産屋さんへ事前連絡し、現地で待ち合わせする事になった。全速力でポートアイランドに向かった。そこは実を言うと普通のマンションなのだ。ご挨拶も早々に部屋を見せて頂いた。神戸三宮を一望出来る最高の立地。さらには言うならば予算内。けれどもココに来てまたしても残念な事があった。それは、分譲貸し、という事なので賃貸期間というモノが既に決められていたのだ。数年もすれば出て行かなくてはならないのだ。これではオフィスの求めるニーズには一致しない。

これで全ての調査確認は終了した。一日を振り返って思ったことは、そう易々と自分の思った物件には巡り合えない、ということだ。グーグルマップに表示されたい!、という気持ちから一連の行動が起きた。その結果、神戸にオフィスを構える、という事実関係の構築には至らなかったが視野を広げることができたし、当初考えもつかなかった目標も持つことが出来た。必ずヤリ遂げてやる。