トツゲキ人生「紹介」

ようやく春の陽気を感じられるようになった4月5月、相変わらずお客様の問い合せだけは寒さは残っていたものの奇跡的に確保出来たお客様のオカゲで、少し時間の使い方に余裕が出てきた時、ちょっと疑問に感じることがあった。それは既存のお客様から時折発せられるお話、俗にいうところの「ご紹介」というカタチ。このカタチに何とも不思議な違和感を感じていた。この業界ではご紹介があってこそ大凡、成り立つ部分も多い。ましてやご紹介に依存せざるを得ない背景も否めない。そこの部分に常々、不自然を感じていた。

ナゼに「ご紹介」というふうになるのか?、

とにかく考えた。家庭教師の為か、紹介元の為か、紹介先の為か、両者含めた相互間の為か、それを考えて考えて考えた挙げ句に気が付いて少し背筋が凍った。なぜならこの「ご紹介」というプロセスは、家庭教師自身がどうしても甘んじてしまう可能性が十分に存在してしまっているからだ。甘んじてしまうと人間はそう易々と殻を破れない。紹介してもらえるから・・・、と考えてしまうような刺激を脳裏に宿してしまって手元の仕事に変化をもたらしてしまう。これは絶対にダメ。ご紹介して頂ける方と頂けない方という次元で学習指導に差をもたらせてはいけない。学習指導とは、そもそもご紹介があろうと無かろうと全力を尽くさなければならないのだ。ご紹介元のお客様の命によりご紹介先のお客様に尽くすコトのみを大前提として「ご紹介」頂くべきであり以後、時間を掛けて次第に自分自身のお客様色に塗り替えていく努力をせねばならない。そこでこんなコトを考えてみた。

正の連鎖よりも負の連鎖の方が絶対に浸透し易いじゃん、

「ご紹介」というのはメリットよりもデメリットの方が圧倒的に大きい。それでも多くの家庭教師はご紹介頂くと大喜びする。知らぬとは恐ろしいもので、この食い付き1つで考えるチャンスと甘んじる心を手にしてしまう。出会いのキッカケと成り得るだけのプロセスと考えるべきなはずだ。ご紹介のお客様を受けさせて頂く時には、それ相応の環境が整っていて初めて成立すると考えるのが妥当だろう。だからこそ、ご新規のお客様を率先して集める、という仕組み作りをする必要がある。そうすることで、ここぞ!!という時にはいつも緊張感があるし、ストレスも感じられるし、喜怒哀楽も生まれて場合によっては感動にも繋がる。とにかくご新規のお客様を集めるコトを考えて行動し、そのうえで末永く御付き合い頂けるような信頼性を確立する方が長続きもするし、身に覚えのない噂も広がらない。単にご紹介してもらうというのは危険満載だ。それは浅く広くという観点に一過性を含んでいるという由縁だろう。深く狭くを大切に考えていくべきだし、自ずと広がっていくモノは自然に任せておけば良い。

そもそもご紹介先というのはご紹介元の近くにいらっしゃるものだから、わざわざご紹介元を経てご紹介先を紹介頂かなくても、自分の努力でご紹介先になろうとしていたお客様をご新規のお客様として迎え入れられるようにアプローチすることで確保に努めれば、それは結果的に等しいこと。いつでもどんな時もストレスを感じつつ時間もパワーも使いながらお客様を確保しなければならない。常に厳しい状態に自分自身を追い込むことで様々な知恵も浮かぶし、これまでに無い程にポテンシャルも発揮される。ご新規のお客様を集める、というコトをとことん専念するべきで、「ご紹介」はあくまでも副産物的な観点として捉えて、シッカリと支えられる環境を整えたうえで受け入れるべきであり、決して依存してはならない。とは言っても「ご紹介」というのはヤッパリ素晴らしい。新しい出会いのパラダイム。新しく出会う、というコトはその方々の人生ならびに子供達の大切な時期に大きな影響を与えることが出来る。話題に登ったり進展性に期待を抱いたり、いろんなコトが考えることに繋がる。

「ご紹介」の品質をより高く整えちゃえば良いんだ、

、、、という身も蓋もない不思議なことを考えてアプローチすることを思い付いた。単なるご紹介というのは危険過ぎる。ならば危険が付きまとわないような「ご紹介」を受ければ良い。ご紹介元の範疇でも、よりプライオリティーの高い方々に目を向けてアクションを起こせば良いのだ。ご紹介元のお客様も緊張するようなご紹介先であらば、より一層高い品質の「ご紹介」に発展する。イタズラに変な事にもならないし、変な波風を立てられることもない。それ相応水準以上で共通の価値観をもったご紹介ネットワークを確立出来る。そうなるように取り組みを実現すれば三者三様に良いコトばかり。何だか良いじゃん。

言葉ではなく手元全てを公開してみよう、

その為には謳い文句ではなく実績の公開が必要不可欠だ。実績を公開するには伸ばしていくモノを伸ばしていかなければならない。その為にもカタチの無い何かカタチをつくる必要があった。子供達の心の中には夢と希望が必ずと言って良い程に存在している。しかもそれは一人一人違う夢と希望。私達が無闇矢鱈に決めてはいけない。みんながみんな共通に持っていて、一人一人が各々にしか見えないモノ。それこそが「志」というイデオロギー。けれども小学生や幼稚園のお子様達にはよく分からないので、その「志」というニュアンスを噛み砕いて「道」と改めた。夢と希望への志、というのを、夢と希望への道、というふうに変えて、希望への道、というふうにブラッシングして整えた。シンプルかつ誰にでも分かるような何だかよく分からない感じの、決めない、というモノを決めた。このようにして「希望への道」というコンテンツが出来上がったのだ。

家庭教師で勉強を教える、というよりも、子供達の将来に大きな影響を与える、というふうに考え方を変えた。そこに絞り込むものを絞り込めば、それ相応の価値観に応じた方々から少しずつ評価を頂き、副産物的な観点でご紹介に繋がっていくものだろう。それも繊細に、かつ、間違いのないネットワークの確立に繋がる。カタチの無いものに価値を見出してくれる方々に評価を頂くことを目指せば良いのだ。その為には短期、長期なんて拘ってはいけない。いろんな角度からいろんな視野から様々な問題に対処出来なくてはならない力を自分自身に身に付ける必要があった。誰にも真似出来ない素晴らしい授業をするのではなくて、誰にも真似出来ない素晴らしい努力をすれば良い。それが向こう6年12年と長く御付き合い出来る付加価値が生まれて、それ相応の価値観を宿したお客様が集まったり育ったりするはずだ。かなり特殊な試みだし、かなり大きな勝負だが、そうでないと何だかいけないような気がした。実際にお客様は支えてもらえるんだったら長い間支えてもらいたい、という本音が多くの方々に存在しているのを従順に承知していた。これはとてつもなく単純なことだし当たり前のことだろう。誰もが目を背けるようなコトを徹底的に直視して何もかもに率先して取り組めば良むコトで解決出来る。タテにもヨコにも、掲載エリアや広告枠の視野を広げるコトを考えるのではなく、内容も広げなければならない。つまり具体的に言うとそれは、中学受験に本格対応したり、大学受験に本格対応したり、私立だろうと公立だろうと優秀だろうと危機的状況だろうと、全てに対応出来るような幅を内容に持たせるべきだなのだ。今だからこそ気が付いたのだが恐らくこれが、コンセプト、という何かが出来上がった瞬間だ。

よし!!「オモシロい」をとことん磨いてみることにしよう、<つづく>

トツゲキ人生「兆候」

ホームページを制作するにあたっての環境も凸凹なりには整って日々、構想を練りつつパソコンの前を陣取っていた。背伸びをしながら肩を叩きながら新しい衝撃を毎日のように感じていた矢先、いよいよ新しいタウンページが配布された。配布されるとどうしても気になるのが本当に掲載されているのかどうかだった。ピンポンが鳴って運送屋さんに手渡されてスグに立ったままで確認しては、ニヤリと笑みをこぼした。そのも束の間、少し周囲を見渡した。家庭教師の業者さんが増えているような気がしたのだ。まぁ〜でも、そうは言っても自分ところは吹けば飛んでしまいそうなぐらいの小さな小さな小粒業者。気にしても仕方が無いので気にも留めていなかった。気が付けば既に9月も過ぎており10月に差し掛かろうとしていた時期。大企業なタウンページと素人創りの殺風景なホームページという2つのコンビネーションが出来上がり、今後どのように発展してくれるのか、をとても期待していた。とにかく後はお客様の御連絡を待つばかりとなった。

10月に入って祭りも終わったぐらいに電話が1本、さらに11月に入ってスグに1本、そして12月クリスマス直前に1本、引き続いて年の瀬に1本、、、確実に問い合せやご依頼は増えている。けれどもここに来て不思議と思ったことがあった。これらの問い合わせやご依頼は全てタウンページから舞い込んできたお話だからだ。ホームページを一切介していない。結局のところ一緒なのか、と思ってホームページを止めてしまうにはタイミングが早過ぎるような気がするので、再び力を注ぐことにした。ホームページの見た感じが良くないのか、掲載している内容が良くないのか、複雑過ぎるのか、いろいろなトライ&エラーの悪戦苦闘を経て行き着いた1つの疑問があった。ホームページを立ち上げてもみんなに知ってもらわないと意味がない、というコトだ。気が付いた時には完全に寝耳に水で視界がパァーーーッと開けたのが印象的だった。確かにそうだ。ホームページで集客がある、というだけでは話が上手過ぎる。ホームページは単なる持ち物にしか過ぎない、と考えるべきだ。良いモノでもギュッと握り締めていては何にも始まらない。周囲のみんなに知ってもらわないと意味がないのだ。これを広める考え方をもたなければならないのだが、どうすれば良いのか分からなかったので、とにかくホームページの創り込みをよくするコトにだけ集中するコトにして、分からない状態でも出来るコトをひたすら行った。

そうこうしている内に2月初旬、タウンページのオカゲもあって食い繋ぐコトが出来ていた。さらに幸いにして既存のお客様からもご紹介を頂けていた。2月という時期に既存のお客様からご紹介を頂くのは大変、有り難かった。なぜなら3月から5月に掛けては仕事のご依頼や問い合せの連絡が激減してしまう傾向にあったからだ。そうなると家賃や広告費の支払いなんて当然のように出来なくなってしまう。一目散に負債を抱えてしまって小銭オンリー生活へ逆戻り。覚悟はしていても正直言って、この時期は恐かった。あんな生活はもう嫌だ。私も人間なので生存権ぐらいは全うしたい。ところがどっこいそんな不安も他所に、何とか3月中にはご紹介頂いたお客様も含めて今年1年を過ごせる程のお客様を確保するコトが出来たていたのだ。そうなると一先ずは安心。これは間違いなくタウンページ様々だ。広告の大切さをシミジミと感じた半年間の出来事だった。ちなみにこの半年程度で電話があったのはわずか5、6件程度。けれどもその内、成約に結び付けることが出来たのも5、6件程度。1ケ月の間に1件程度のペース、でもメチャクチャ助かった。連絡を頂いてスグに無料体験へ駆け付けたのは当然。もう必死以外の何モノでも無かったように思える。ご成約に繋げる方法は単純で、全てYESで答えて速く対応しただけ。無理しかしていなかったのは間違いないだろう。初めての事ばかりでミスも多かったが1つ1つ丁寧に解決していた。もちろん、その姿勢は今でも変わらない。むしろブラッシュアップされて速度も精度も増している。

トツゲキ人生「逆風」

要するに残された半年に夢と希望を掛けた最後で最後の広告の肝っ玉。掲載の根幹は既にタウンページで作り上げていたので絶対に変えてはならないと決めていた。そこでタウンページとホームページに一貫性を持たせる為に『受験塾家庭教師という屋号、みんなの心に伝えられるメッセージ、誰がみても単純な料金スタイルや対象、そしてフリーダイアル。とてつもなくシンプルな内容だったに違いない。もちろん手書きだったが誰が見ても分かるはずだ。さらに加えるとフルカラー、サイズ増、掲載地域の追加。。。』を軸として、掲載エリアや広告枠を思い切った。さらにフルカラーも適用するコトになっていたのでイメージカラーというモノも考えてみた。私という人間性はデリカシーがまったく無いし、頭脳ベースも直列回路そのもの。だからこそ考えなくちゃいけなかった。私のカラーがイメージカラーになってはどうにもならないからだ。当時は、鮮やかな紅色(べにいろ)で光沢感も無く繊細なマットな感じを決めた。受験塾家庭教師一発目としては、まぁ〜まぁ〜だったはずだ。ここまでヤリたい放題やってると当然の如く、予算は遥かに底を付きつつあったし、経費の変化も収入の変化もないのに広告費の数字だけが通常の3倍も増えていた。身も心も張り裂けそうな気持ちになっていたので、家庭教師をヤリ初めた当初からずっと抱いていた疑問をコダワリに変えてみるコトにした。やんなければ後で絶対に後悔する、と感じていたからこその一念発起。そのコダワリに変わりそうな疑問は幾つかあった。

(その1)家庭教師業者がお客様を集めるのに講師の学歴を公開するのは、ナゼだろう???、、、

多くの家庭教師業者は、家庭教師でお客様を集める時に必ずと言って良い程、学歴公開、を行って集めようとする。こんなのってぜんぜん意味無いように感じて仕方が無い。○○大学を経て、あぁ〜だ、こぉ〜だ、と謳い文句を使っている業者が兵庫県にも多数いるようだが、私個人的には何だか薄っぺらく感じてしまう。△△大学だから頭が良いので家庭教師が出来る、というのは何だか不自然。確かに理由付けとしては最もらしい雰囲気を感じるが、学歴に拘っている者が良い仕事が出来る、とは考え難い。学歴が何をしてくれるワケでもなく、何かをするのは全て人間だ。学歴で勝負するよりも学習指導で勝負をしたい。その方が何だかエキサイティングじゃん。だからこそ、受験塾家庭教師はホームページやタウンページで講師の学歴を一切公表しない、と決心した。

(その2)入会金とか解約金とか管理費とか、そんな最もらしい費用っている?、、、

そんなん絶対にいらんやろ。少なくとも私や受験塾家庭教師には絶対に絶対に絶対にいらん。一切、必要無い。それに虫眼鏡とかで見ないと見えないような小さい字で書かれた細かなルールや費用なんてのも必要無い。どこで勝負をしてるのか何だかズレているような気がして仕方が無いし、フレキシブルな感じがまるでない。教育業界なんだし家庭教師なんだから学習指導や築き上げた実績で勝負すれば良いのに、と思っていた。お得感を感じさせるような制度なんか別にいらん。制度を磨くよりも学習指導でスキルを磨く方がよっぽど近道だと自負していた。そのうえで誰が見ても誰が聞いても分かるような仕組みにしてやれば良い。とは言っても当時の受験塾家庭教師には、学習指導料金以外に交通費と教材費が存在していた。決めたコトとは言え、とてつもなく不自然に思っていた自分が存在していた。将来的には何とかして無くしてやると新たな決意を抱き日々、成長していけるリアリズムを磨くことにした。信念を持って24時間中18時間は頭と体を動かせば現実のモノとなるはずだ。少なくとも今やっているコトは仕事だとは思っちゃいけない。単にオモシロい事をやっているだけと認識すべきだ。だからこそ、受験塾家庭教師は信念もって覚悟を決めてリアリズムを磨くことに尽力を果たす、と決心した。

さぁ〜いよいよ勝負開始だ!!<つづく>

トツゲキ人生「段取」

サーバーという箱、ドメインというアレ、等のいろいろ複雑なモノが必要であるのは十分に理解だけは出来ていたが次へ進む為のエネルギーが遥かに切れていた。しかしこの時とばかりは、そうも言っていられない。仕組みを知って設定を知り、計り知れないぐらいの労力と資金を費やすべきだ。さらにはそのような環境を整える必要もある。もちろん時間も資金がとってもたくさん必要となるのは十分に承知のうえだ。そこで一先ずやんないといけない事をまマトメて1つ1つ順に取り組んだ。

予算は限られているもののとりあえず今の環境よりもマシな環境を最低限でも良いから構築するコトにした。とりあえず極力少ない資金で済んで欲しくて、欲しくて、欲しくてたまらなかったので、自分でも分かり易く改善策を見出すことが出来るように1つ1つの要素を改めて勉強してみた。メモリーと言うのは机の大きさ、CPUと言うのは頭がええか悪いか、ハードディスクと言うのはカバンの大きさ、マザーボードと言うのは道の大きさ広さ、電源は電源、このような感じでそれぞれに役割が違うことを改めて認識し直した。一先ずこれで何がどんな役割を果たしてくれているのかは何となく理解出来た。必要な部品類だけを探すにあたり自分自身で、あぁ〜だこぉ〜だと言っていても仕方が無い。そんなワケで、パソコンの修理でお世話になったショップのお兄さんに再び相談させて頂く事にして、全速力でショップへ伺った。重要なここ一番の買い物をする時は絶対に失敗してはいけなかったので、お世話になった専門家に相談するのがベスト。間違いなく信頼を確立していた。早速、相談させて頂いてアドバイスを受けた。マザーボードやCPUとかの交換は絶対に一緒に行わなければいけなくて、資金的にも酷使されてしまうので、このままメーカー品を酷使するコトになった。こんなサッパリな感じで幾つかアドバイスを受けて、とことん安上がりな方法でメモリーだけを交換する事になった。加えて言えば、取り付け方法までも教えてもらえたので本当に助かった。 間違いなくショップのお兄さんは輝いて見えた。とにかく良い人過ぎる。ジャンク品の購入や修理しさえすれば使えそうな部品なんかを手に入れるなら姫路南の大きなショップで物色すれば良い、というコトも教えてもらった。売り上げにもならないお客で本当に申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

ホームページを立ち上げる為に必要となるサーバーというモノ。確立する為に各種様々な設定に挑戦することにした。ビールサーバーのサーバーをイメージしていたので、パソコンの中を物色していたのだが、どうしても見当たらない。今になって思うと当然なのだが当時はさすがにそうもいかなかった。インターネットを介して調べまくった結果、本来パソコンの中にあるモノではないコトを知る。パソコンの中にあるワケがない、という事実には、鳩に豆鉄砲を喰らった級の衝撃が走った。幸いにしてニフティでホームページを立ち上げる為のサーバー機能が無料で備わっているようだ。早速、使い方を学ぶべく朝から晩まで来る日も、来る日も読みまくった。url、ftp、account、pass、などの細かな入力設定方法や順序等が書いてあったのでメモを取りつつガムテ対策。これらの内容をソフトの設定画面に入力してアップロードしさえすればホームページが表示される、というのを学んだ。思ったよりも簡単な気がする。ナルホド!!、と気が付いた後はスピード対応。頭の中での全ての要素に道が繋がる瞬間だ。基本的に個人的な欲求は度外視になり、寝ずに食わずに出来るまで、成し遂げられるまで努力を継続した。そんなワケで早速、ソフトを手に入れるべく再びショップさんへ伺ってホームページビルダーというものを即入手。既に小銭状態だった。インストールの術は聞いていたのでワクワクしながらのトンボ返り。ドドドドドドドドッと足早にパソコンの前へ着地して電源を入れる。ようやく、ここまで来たのかと一息入れてインストールしてみた。初めて見た真っ白いindexページを目の前に気が付いたことがあった。

具体的な構想を頭から絞ってこなアカンやんッ!!

周囲が見えていなかった訳では無いが、若かれしドギマギもあって日々、必死だったのだ。いよいよ広告内容を整えてホームページに注ぐ時がやってきた。<つづく>

トツゲキ人生「鮮明」

まずは落ち着いて冷静に考えてみよう。タウンページとホームページ、比較的、制限があるのはタウンページ。誰でも分かる自然なコトだ。枠や表現の制限が自分の範疇ではないところで審査されしまう。とは言っても別々に練り込むならば今までと何ら変わらない。だからフィードバックさせることを思い付いた。タウンページに載っける内容を広告の根幹として、それに付随する内容をホームページで表現するコトにした。

どんな感じ?、料金は?、対象は?、という誰もが気になる3つに絞って考えた。とりあえず受験塾家庭教師という屋号から家庭教師屋さんであるコトは誰でも分かるはずなので、わざわざ大きなことを言わないで良い。次にアピールメッセージを考えた。要するにキャッチコピーだ。物凄くシンプルで小学生にでも分かるぐらいの内容にしないといけない。だからと言ってチャッチーーーなものになってもいけない。一先ずタウンページを開いて寸法を計測した。1文字を6mmから7mmぐらいに設定し最大何文字まで有効なのかを探ってワードカラーを考えた。続いて料金については、スタイリッシュな形にしたかったので、指導料金と交通費と教材費の3つ、に絞った。1時間いくら、という表示の仕方にはちょっと不思議な気持ちだったので、週1回1時間で月いくら、という表示にし趣向を凝らしてみた。最後に対象エリアや学年については、姫路福崎学区を中心に東は加古川、西は相生ぐらい、小学生から高校生までを対応することにした。もちろん中学受験生も含めていた。このようにして限られた枠の中を埋め切った。多少なりともブサイクな表現も多数あったのかもしれないが貫き通す表現を心掛けて創り上げることに成功したように思う。

一様に創り上げてみてハッと思ったコトがある。079ー・・・という連絡先に不自然を感じたのだ。小さい枠で意思表示させるのだからフツーな感じでは、多く人達は通り過ぎてしまう。そこでフリーダイアルを設置してみることにした。というよりも0120ー・・・という世の中的な何かを獲得したかっただけでだろう。その方がシックリくる感じを得ていた。速やかに問い合わせをしてみたい、と思ったがドコへ連絡すれば良いのかが分からない。だからと言ってタウンページの担当者さんに連絡先するワケにもいかない事情もあったので、とにかくNTTと名の付く問い合わせ先へ片っ端から連絡した。幾度となくタライ回しを受けて辿り着いたのがNTTコミュニケーションというところ。サッパリ知らなかったのだ同じNTTでも、電話回線を引いているところ、電話帳を取り扱うところ、フリーダイアルを設置するところ、それぞれがそれぞれに違う特色を含み相応に応じたサービスを提供する環境を持ち合わせているというとコトらしいのだ。何とかしてフリーダイアルを獲得するべく繋ぎ止めたアクセスラインを次のチャンスに活かす為に対応には最新の注意を払った。

フリーダイアルを今スグにでも設置したいんです!!、

簡単な概略説明があり料金の説明があり工事日の説明があり、ハラハラしながら相手の説明を要約しながらメモってスグに依頼した。みるみる内に話が前へ進んでいくと1つの障害物にぶつかった。それがなんと、電話回線が一般家庭用のモノである、という事実だ。この問題を解決するには、どうすれば良いのか、とスグに尋ねた。コチラでは詳しいコトは分からないので116へ連絡してください、ということだった。もちろん親切に教えてくれた。またスグに折り返し連絡する、という旨を急ぎながら告げて、即行116へ連絡した。いろんな旨をイッペンに伝えてもそのわずか数パーセント程度しか伝えられないし、理解もしてもらえないから、多くの内容を一言に集約し伝えることにして、後は全て身を任せることにした。その介もあって回線工事の一件もスムーズに解決した。当初の障害は解消されたのだ。フリーダイアルを取得するべく担当者さんへ再び折り返し連絡した。電話回線の条件も無事に揃った、という旨を伝えて後は担当者さんに任せたのだ。任せる、と話が思いのほかスムーズに進むのを理解した瞬間だった。人って成長するもんだな、と改めて実感した。これでようやくフリーダイアルを入手することが出来たのだ。

受験塾家庭教師という屋号、みんなの心に伝えられるメッセージ、誰がみても単純な料金スタイルや対象、そしてフリーダイアル。とてつもなくシンプルな内容だったに違いない。もちろん手書きだったが誰が見ても分かるはずだ。さらに加えるとフルカラー、サイズ増、掲載地域の追加。やっとのコトで形になってきたと久し振りの安堵感に浸れた。その後、即座に請書を作成して、ポストに投函するのではなく郵便局の本局へ持ち込んで速達発送した。善は急げである。これで後はタウンページの担当者さんのブラッシングに身を任せて仕上がりを待つばかりとなった。大凡2日間程で完成させることが出来きて、本当に良かった。何とか万事休すな事態も乗り越えて、広告における多くの根幹を生み出すことが出来た。

間髪いれずに次のステップ。いよいよホームページ制作を本格化するコトにした。<つづく>

トツゲキ人生「猶予」

跳びっきり空っぽな勢いだったが勢いだけは一人前。ただ背水の陣であるのも周知の事実。広告を打っても連絡は無い。だからと言って既に配られたタウンページ広告を1つ1つ更新出来るはずもないし、新しい広告形態を待つワケにもいかない。それでは4、5ケ月の期間が無駄になるうえ、さらにその半年後にはダメにもなってしまうのも明らかだったからだ。ましてや新聞折込なんて言語道断。これは絶対にやらないと決意したし、チラシを作って手配するのもナンセンス。それでも何とか新しいお客様を獲得しなければならない事情が存在するし、絶対に辞めない、と誓ったばかりだ。とにかく問題だらけが錯綜するものの何が何でも乗り越えねばならない。

どうすれば良いのか、を来る日も来る日もギュギュッととにかく考えた。お金が掛からなくて速効性があってスグみんなに知ってもらえて半永久的に力を発揮してくれる方法。なんだ?、なんだ?、なんだ?、、、この時ばかりには既に、ホームページしかない、という答えは脳裏にシャキッ導かれていたのを自覚していたのだが、確実に心が折れていたように思う。以前パソコンと闘った時に様々な事を考え過ぎて無理をし過ぎて体調を崩し過ぎて、吐き気も煩って血便が出ちゃうぐらいに至るまで没頭してしまった。それに気を失っているのも気が付かない状況だったのだ。その時のトラウマ?、自暴自棄?、何だかよく分からない何かが私の中でそんな強烈な状況を鮮明に覚えさせており、無意識の内に体と心が拒否反応を起こしていた。けれども今回ばかりは違う。それらの衝撃を遥かに上回る意識が芽生えて確実に成長を果たしていた。ヤルしかない!!、という言葉では表現出来ないぐらいの強い意識だ。信念、というモノを初めて学んだような気がする。信念を持ち覚悟を決める、という姿勢が築き上がった瞬間だったのだろう。心地良くも複雑な気持ちで、鉛筆とメモ帳とガムテを準備しパソコンの前に座って計画を立てた。極端にぶっきらぼうな計画だが、誰にでも分かるような鮮明な目標を立てた。その姿勢は10年経った今でも変わっていない。

『10月までにタウンページとホームページを使って何かを創る!!!』

目標とリミットも定まり、まずは締切ギリギリとなっていたタウンページの原稿を改める為に最初から練り直すコトにした。もちろん屋号は受験塾家庭教師だ。今度こそタイミングをミスってはならん。もう泣いても笑っても1発勝負。残す10ケ月程度を有意義に悔いの無いように動き回らないといけない。そう思った時には既に大阪から広告締切の請書が発送されていたので、正に一刻を争う事態。もう少し遅れて届いてくれないものか、という薄い期待は軽々と崩れる。次の日早朝には自宅に届いていた。とにかく時間が欲しいのに請書が届いてしまった。どうする!?、と思っていつもの魔が差した。本来なら今日届いているのだが明日の夕方に届いた事にしておいて明後日ポストに放り込んでおくことで自己完結。これで大凡3日間の猶予期間が得られる。乗り切るには三日三晩の徹夜で十分だ。やはり案の定、次の日に担当者から確認の連絡があったので届いていないというコトでお茶を濁した。ゴメンナサイ、とこの時ばかりは思いながら時間稼ぎの成功に緊張感を感じた。背に腹はかえられない。既に決まった内容を一掃する3日間の挑戦がいよいよ始まった。<つづく>

トツゲキ人生「奮起」

感動もそこそこに改めて気が付いたことがあった。やはり他社の掲載範囲は大きい。大きい掲載はどうしてもカテゴリの最初にやってくる、というコトが世の常であるのはエントリーの段階で従順に承知していた。やはり掲載は大きいモノにしておくべきだったか、と不安になることもあった。けれどもギリギリ状態が続いていたので贅沢は言ってられる訳もなく、依頼の電話が鳴るのを待った、待った、待った。10月上旬も知らぬ間に過ぎて祭りも終わり、11月へ突入。アッと言う間に12月となり年末に差し掛かったクリスマス前後にようやく1件。単なる質問だけで依頼には繋がる気配がまるで無しッ。年末の寒い時期には幸いにも御紹介を立て続けに数件程度も頂いており、奇跡的にも食い繋ぐコトが出来ていた。けれども必然では無かったゆえの不安はあった。けれども口コミの絶大さをヒシヒシと感じていた。無ければ確実に虫の息となり静かに消えていたのは明らかだったからだ。

知らぬ間に年も明けて電話も鳴らない相変わらずな日々を過ごしていた1月下旬にNTTタウンページから連絡があり、広告担当者が変わった、というご挨拶を受けた。何気ない会話も終えて少し気が付くことがあった。それは、毎年このタイミングになると必ず連絡をしてくれる、というコトだ。理由が無ければ連絡はしない。けれども何かしらの理由が存在するから連絡する。もちろん多種多様なケースはあるだろう。タイミングを見定めた一手には必ずと言って良い程に理由や根拠が存在していなければならないもの。そうだ!!この1年はタイミングを見定める1年として足踏みをしよう。タウンページ広告のブラッシュアップと最大化、ホームページ制作を目指し、とにかく挑戦していくコトを決意した。

2月3月の寒さもだいぶん緩んできて受験も終わり、家庭教師派遣会社から頂いていた家庭教師のお客様もいよいよ全て無くなった。タウンページの掲載から半年程が過ぎ、新しく思い付いた屋号名と掲載した屋号名との狭間ではあったものの一切連絡が無い。不幸中の幸い!?、そんなバカな。間違いなく毎年のように訪れる4月5月という屈強を乗り越えるべく何も出来ない苦しさに身構えていた。この1年がダメだったら必然的にもう終わりだ、という気持ちでご紹介頂いたお客様や再び継続頂いたお客様が最後のお客様になるコトを覚悟した。そう考えると、やはり学習指導にも熱が入って目の色や言動からは猛烈に鋭いビームが発していた。入り過ぎてしまって時には親御様から???と思われてしまう空気も感じていた。合格させてやるんだ!!、成績を伸ばしてやるんだ!!、という気持ちだけが先行し、周囲の気持ちなんて気にも留めることはなかった。自分以外の何も信じ無かったのだ。既にお客様方の声が届くような状況下ではなかった時、ハッとすることがあった。

『ウチはどうしようも無い状態だから何とかしてもらいたい気持ちで先生にお願いしてるのに、辞めてしまえッ!!、って発言を連日言われてしまうと困ってしまう。先生を辞めてウチはどこへ行けば良いの?、ドコか良いところ探してくれるの?、、、』

・・・沈黙。正直、言葉が出なかった。浅はかだった。間違いなくお客様の言う通りだ。目が覚めた。本人を必死にさせるべく発していた言葉がお客様を傷つける言葉へと次第に変化させてしまっていたのだ。私の認識と発言に誤差を生んでしまって本当に良くしてくれていたお客様の心の中に、このようなメッセージを生ませてしまったことは大変、残念でならない。全て私が悪い。御叱りのメールが送られてきた時、自分の情けなさに震えが止まらなかった。間違いなく心に衝撃が走ると同時にさらなる決意も固まった。いかなる状況でも辞めるという言葉を彼の前では絶対に出さない、と自分自身の心の底で大きく誓った。辞める、というのは最後の手段にしておくことにした。そう心に決めて以来、私はより一層情熱のある学習指導にとことん徹するコトが出来ていたように思う。何かが吹っ切れた。お客様から連絡が無いから、と言って何をクヨクヨしてたんだろう。もうヤルしかないんだからヤルしかない。私にしか出来ないコトをとことんヤレば良いだけ。それでダメになっても悔いは無い。だからと言って諦めてはいない。真摯な気持ちになって奮起した。最後の最後まで勝負は分からないものだ、と一番知っているはずなのに、、、。知らない間にマイナス思考となっていた自分の不甲斐無さに笑えてしまう。ちなみに当時14歳の中学生も今では既に22歳の若オッサン。彼自身も当初諦め掛けていた夢に奮起して共に成し遂げることが出来た戦友だ。だからこそFacebookの友達登録にもチャッカリ放り込まれている。もう10年以上も付き合っていることになるかなッ。いっぱい喧嘩して、いっぱい笑った。あの頃があるから今がある。

よしッ!!こうなったら絶対に辞めてなるものかッッッ

<つづく>

トツゲキ人生「屋号」

、、、とは思ったものの何をどうすれば良いのか、なんて相変わらずサッパリだ。とにかく方法を見付けるべく鉛筆とメモ帳とガムテを片手に日々、検索、検索、検索の嵐。サーバーと言われる箱が必要であるというコト、パソコンはそのサーバーから情報を受け取っているだけにしか過ぎないというコト、その他にもソフトと言われるファミコンのカセット以来聞いたことが無かった何かが必要であるというコト、そんな諸々を学んだ。とにかく膨大な設定と環境、そして想像もしないテクニックが必要なので、無知な人間が一遍に全部する、なんてのはナンセンス。1つ1つでも良いから日々着実に進めていくしかないと実感し、アナログ的に進められるコトから順序良く時間をかけて進めていくことにした。薄っぺらいレベルからでも身に付けられる知識を吸収しつつ、わざわざ手間隙を掛けて一定の水準に到達することを目標に取り組むしかなかったのだ。気の遠くなるような作業だが後にも先にも引けないので、漸進するしか道は残されていない。そこで、まず最初に実行に移したのが、ホームページに掲載する屋号を決める、ということだ。要するに法人でいうところの会社の名前。コバンザメのような感じで家庭教師派遣業者を頼りにしていた習慣から脱する姿勢を示しながら個人事業主として半独立状態を継続していた当初、『姫路白浜塾』『和田アートプロダクション』という名称で活動していた。今だからこそ思うのだが、このような名称でいくら頑張ったって遠回り以外の何モノでもない。成功の一途を歩む前に時間に押し潰されていただろう。それではいけない!!

パッと見てハッとさせる名称、でなければならないと気付いた。そこから私だからこそ出来るノウハウを惜しみ無く注入出来る可能性を表現すれば良い。屋号というのは本当に大切なモノであるというコトを身を以て体験したのだ。考えなくして目先のモノだけでは決めちゃいけない。人は無意識の内に繊細な考えをもって皆シンプルに生きているものなのだ。複雑そうだ、よく分からない、という要素を含む名称では決して先へは繋がらない。その考えに至ったヒントが実はごく身近に存在していた。パソコンを便利だと思う方々はキーワードを叩いて何かを検索した末に判断したり行動したりしている。しかしむしろその前から期待という無意識の衝動に浸っている。パソコンとうのは自分の探したいモノがもの凄くシンプルに目の前に出て来るからこそ便利だと思う。けれどもパソコン事態に便利を感じている人は少ない。パソコンはあくまでも環境を支えるツールにしか過ぎないからだ。もの凄く便利で、もの凄くシンプルなサービスを提供する構造を持っているツールでしかない。パソコンという名称は斬新だ。このワードを目にした途端に、とにかく便利である、という事実を目の当たりにする。役割をその名称に置き換えたカタチで我々の心の中に無意識に飛び込んでくるのだ。パソコンという入り口を以て、検索したいという衝動を掻き立てている。誰にも存在している期待という心情がユーザーの背中を自分自身の中で押している。そして検索すればする程に奥へと進んでいき、気が付けばパソコンの虜となっているもの。既にパソコンから離れられなくなっている。けれどもこれが錯覚。本来は、パソコンが支えているネットワークの楽しさや感動から離れられないだけなのだ。本質はそこに存在していた。

そういった価値を見出せるような名称を生み出さなくちゃいけない。そして、いつものように3つに要素を絞り込んでよく、よく考えてみた。「3」という数字に拘っているように見られがちだが、特にそんなコトはない。単純な話だ。だからと言って「4」という数字にどうこう言う感覚も無い。「3」という数字は、3本あれば十分に柱としての機能を果たす。そしてそれは次なる1へと繋がっていく。そこで、家庭教師をする、学習塾もヤリたい、受験生への違和感、これらの組み合わせを最終的に1つにするべく名称を考えた。

家庭教師、塾、受験、、、家庭教師、受験、塾、、、、受験、塾、家庭教師、、、そうだッ☆コレだぁ=====ッ、受験塾家庭教師、、、これしかない!!!

頭の中で電撃が走った。これ以外にセンセーショナルな名称が思い浮かぶはずもなかった。多少の不安もある。受験に関係がないお客様からの連絡は薄いだろう、というデメリットが存在しているのだ。けれどもこれを逆転の発想に転換することで、それを遥かに上回るメリットを築き上げる可能性は十分にある。時間を掛けて創意工夫することで勝算は必ず増大する。ブラッシングに明け暮れる日々を過ごせば良いだけの話。伸びシロは十分にある。このようにして『受験塾家庭教師』という名称は生まれた。夏休みも丁度終わりつつあり学校も始まっていた時のコトだったように思う。夏過ぎに名称を生み出したものの現在、受験塾家庭教師の創業を一応、2003年の4月というコトにしている。名称が生まれたのが8月か9月かという時期。多少の時期的な誤差はあるが本質的な活動自体は心機一転4月から始めていた。将来的に会社として何らかのカタチで世の中に出したいという考えがあったので止むを得ない。活動が始まり、名称が生まれる、というアベコベな順序なだけに過ぎないと思っている。今も当時も考えにあまり変化は無いようだ。何ら抵抗感はない。例え順序がアベコベであっても、デメリットを上回る程のメリットを構築することでお客様の満足に十分に繋げれば良い、という副産物的な考えを手に入れることが出来たからだろう。

そうこうしている内に気が付けばタウンページの広告掲載時期でもある10月に差し掛かろうとしていた9月下旬。いよいよ広告主にタウンページが配られて目を見張った。<つづく>

トツゲキ人生「売買」

止むなく手っ取り早そうなネットオークションに手を出してみた。まずは身の回りにあるモノを売ってみようと思ったので、手を変え品を変え挑戦するコトにした。メールの送受信は必ず12時間以内に行う、送料手数料はいかなる場合も完全無料にする、売りモンは代金後払いにする、という単純な3つのルールを決めて行うことにした。とは言っても売るものが無いので、解体屋さん回りをしたりパソコン屋さん回りをして、ぎりぎり使えるジャンク品ばかり集めた。日曜日には姫路の公園で開催されている青空市や巷のフリーマーケットへ出向いて売れそうなモノを数十円数百円単位で仕入れたりした。もちろん、それだけでは無い。実家へ帰っても物色したのは当然。何が何でも手当たり次第で集めた。こんなことをやっている途中、いったい自分は何をやっているんだ!?、と我に返ることもあったが、インターネットを利用して売買を成立させるためだからガンバレッ!!、と自分で自分に言い聞かせて気を引き締め直した。家や車に入り切らないぐらい集まったガラクタ?を売りモンにすべく創意工夫。50件ぐらいに工夫を凝らし、夏休みの昼間を利用して全て売り捌くことを目標に動きまくった。この取り組みから得られた情報はとても良いものとなった。日本に住む人達の道徳心に深く感銘を受ける結果となったのだ。50件全てを商品発送後の代金後払いにしたのだが、全ての方々がその代金を支払ってくれた。もちろん遅かれ早かれのタイミングはあった。この経験で売り方の繊細さとリスキーな部分を理解する大切さを学んだ。一手間に神経を集中させれないと成り立たなかっただろう。

次にこの経緯で得られた収入から仕入れ代金を差っ引いて得られた微々たる金額を元手にして教材や文具代金そして問題集等の物品類を買ってみることにした。いつもならば近くのホームセンターや書店で買い付けていたのだが、わざわざインターネットを活用して買い付けてみたかったのだ。メールの送受信は必ず12時間以内に行う、入金は即日でスグ行う、モノが送られてこないという覚悟を決める、という3つのルールを一先ず決めた。そこで鉛筆、消しゴム、教材に絞って一般個人、ネットショップ量販店、大手書店というように区別してそれぞれに発注してみた。そこで得られた重大なニーズや情報、刺激があった。発注してからしばらくしてメールが届いた。その後先方からもらったメールの指示に従って手続きを済ませたのだが、どうしても浮かび上がってくる衝動が存在している。それは、早く送って欲しいなぁ〜〜〜ッ!!、という衝動だ。何だか不思議な気分になった。欲しいモノを早く手に入れたいから早く支払いを済ませるのだが、手元に届くまでの不安みたいな気持ちが何とも心地良く無い。少なくとも私がこんな気持ちになるのだから、私よりも神経過敏な方々はもっと焦ってしまうに違いない。ただ、この問題を解決する方法は身近に存在していた。これは本当に単純な答えだ。私のような売り主であれば良いんじゃん。

売り買いに関わらず取引というのはダラダラやっちゃいけない。今の取引を速やかに完了させるのは自分で、済ませるのを時間だと割り切ってしまえば良い。後は潔い覚悟を持つことで取引の機会を増やすことが出来る。1つ例を挙げれば、1の取引を済ませる間に2の取引を完了させ、その後に自ずと取引が済むのを待つ。要するに時間に任せておけば自然と取引は済まされるのだ(これはネットオークションから導かれたガチ経験)。以後、回数を増やせば増やす程に、その速度はどんどん増すので1の取引に対して2ないしは3の完了に繋がっていき、失敗の回数や可能性よりも遥かに成功の回数や可能性が増えていく。1の失敗を恐れて2ないしは3の成功を見過ごす方が取引としてはよっぽど失敗である、と気が付くべきだ。勝負する時は勝負をしなければならない。失敗しないように頭と体を動かすのではなくて、成功するように頭と体を動かすべきだ。そのうえで資金や時間、そしてアイデアをコントロールする。次第にタイミングを見据えることが出来れば安定と定着だけでなく『勘』のようなモノが身に付く。このような感じでメリットとデメリットの誤差に思慮深くなり、速やかな行動に徹することが出来れば自ずと間口は広がり自分自身の経験値も増えていく。増えれば増える程、より素早い成立を導くうえでの知恵も湧いてくる。フツーーーのコトをやっていても仕方が無い。さすがに、この時ばかりは頭の中で電撃が滑走した。これでいよいよインターネットを利用した売り買いの成立方法は理解出来た。そうなってくると自然と湧いて来る欲望があった。

ホームページをつくってみたいッ!!!<つづく>

トツゲキ人生「検索」

インターネットって楽しいなぁ〜〜〜ッ!!!

次はメールを使いたい。よしッアカウントの設定に挑戦しよう。ところがどっこい、メールアカウントの設定をするにしてもバージョンやらOSやら、とコレまたサッパリ分からない言葉が飛び交う。けれども本質的な設定は恐らく同じだろうと考えて、それぞれのマニュアルに共通している要素をメモやガムテに書き綴ってみた。アカウント、ユーザー、パスワード、pop、smtp等それぞれに入力する必要があるようだ。ワードの中にはSSL!?、なんじゃそりゃ!?、というような不思議な3文字もあり、高度な設定というコトなので見ない振りを決め込んで、とにかくメールのヤリトリが出来るところまで辿り着くことを目指して取り組んだ。パソコン関係においては専らサッパリを突き通している者からすると余裕なんてあったもんじゃない。常に頭はパンパン状態で1つ1つこなしていくしかない。もうこれ以上、誰にも迷惑を掛けることも出来なかったので、徹底的にネット上でヒントを探しまくった。まぁ〜〜〜でも今やっている技術が身に付けば、ヒョンとした時にでも自分自身で解決出来るようになるので一石二鳥だ。もうそう考えないと挫けてしまいそうになる。こんなんが得意だったらパパッと出来るんだろうな!?、と絵に描いたような希望を抱きながら、ひたすらパソコンに向かう。既に深夜を越えてピーチクパーチクと小鳥がツイートしていた。気が付けば朝。自作で作ったトラブルシューティングも何とか全て潰し終わって、メールの送受信に大成功。メールアカウントを設定するだけで大凡6時間程度も要した。設定出来ないアカウントはない、と言えるぐらい隅々まで勉強しまくった。けれどもこれで当初抱いていた希望も現実のモノとなった。ようやくネットワークにも繋げることが出来たし、メールの送受信も出来る環境が整った。パソコンは本当に設定との闘いだ。

これでだいたい準備も整ったので前々から気になっていたコトをやってみようと思う。それはネットショッピングだ。インターネットを利用して何か買う何か売る、というプロセスをそれぞれ学びたかった。その為にとことん検索をしてみた。いろんなホームページもとことん見てみた。そうこうしているウチに1つの疑問に気付いた。とは言っても結構、早い段階で気が付いたのは言うまでもない。頭が回転しまくっているとそんなモンだろう。

検索、ってどんな仕組みになっているんだろう?

もう居ても立ってもいられなかった。いろいろ試してみた。ただ情報量や時とタイミング次第では様々に変化が錯綜するので、そう容易いことではないコトだけは分かった。それでも諦めず1週間2週間と寝ないで頑張った。それでも分からない。チクショーと思ったが頑張った。耳鳴りがして肩が凝りまくって吐き気がするぐらいまで粘った。時折、寝たのか寝てないのか、を覚えていないぐらい頑張った。それでもダメだ。今のレベルでは確実にダメ過ぎる。一先ず一時的に退却することにした。気持ちは負けていない。心は続行を望んだのだが体がついてこなかった。奥が深過ぎるんだ。<つづく>