トツゲキ人生「設定」

工事担当者からもらった一言が、すこぶる十分に役立った。後は自分がやんないといけないのだが、ただ幸いにしてNTTとプロバイダからもらったサービスマニュアルを片手にあぁ〜でもない、こぉ〜でもない、という感じで四苦八苦しながらも取り組んでみた。大きく構えてみたものの、ちょっとズッコケた感じだったが思いの他、単純に作業を終えることが出来た。マニュアルって本当に素晴らしい。指示通りにステップアップしていけば上手い具合にいくのだから安心、と思って再び繋げてみようとしてクリック。予想は思惑の範疇を捉えており、ナゼか不思議と繋がらない。何が意地悪をしているのかサッパリ分からない。少なくとも繋げようとしている人間に難有りなのは間違いない。とりあえずヘルプとマニュアルを徹底的に見比べながら活用して何とか手動で挑戦してみた。自動でお手軽、というよりもヤッパリ、手動で1つ1つ、の方がどちらかというと個人的には好きだ。1つ1つメモに取りながらトライ&エラーを繰り返しながら行ったり来たりしてみた。これで恐らく出来ただろう、と思って再々度挑戦してみた。ふぅ〜〜〜ッ、となりながらも作業完了の達成感をそこそこに早速、クリック。次の瞬間・・・うわぁ===っ!?これや☆、という安堵感。やっとインターネットに繋げることが出来たのだ。繋げるだけでこんなにヘトヘトになるのか、とメモっておいた全ての作業を手元のファイルに保存して一先ず肩の荷を下ろすことが出来た。

インターネットって楽しいなぁ〜〜〜ッ!!!

次はメールを使いたい。よしッアカウントの設定に挑戦しよう。ところがどっこい、メールアカウントの設定をするにしてもバージョンやらOSやら、とコレまたサッパリ分からない言葉が飛び交う。けれども本質的な設定は恐らく同じだろうと考えて、それぞれのマニュアルに共通している要素をメモやガムテに書き綴ってみた。アカウント、ユーザー、パスワード、pop、smtp等それぞれに入力する必要があるようだ。ワードの中にはSSL!?、なんじゃそりゃ!?、というような不思議な3文字もあり、高度な設定というコトなので見ない振りを決め込んで、とにかくメールのヤリトリが出来るところまで辿り着くことを目指して取り組んだ。パソコン関係においては専らサッパリを突き通している者からすると余裕なんてあったもんじゃない。常に頭はパンパン状態で1つ1つこなしていくしかない。もうこれ以上、誰にも迷惑を掛けることも出来なかったので、徹底的にネット上でヒントを探しまくった。まぁ〜〜〜でも今やっている技術が身に付けば、ヒョンとした時にでも自分自身で解決出来るようになるので一石二鳥だ。もうそう考えないと挫けてしまいそうになる。こんなんが得意だったらパパッと出来るんだろうな!?、と絵に描いたような希望を抱きながら、ひたすらパソコンに向かう。既に深夜を越えてピーチクパーチクと小鳥がツイートしていた。気が付けば朝。自作で作ったトラブルシューティングも何とか全て潰し終わって、メールの送受信に大成功。メールアカウントを設定するだけで大凡6時間程度も要した。設定出来ないアカウントはない、と言えるぐらい隅々まで勉強しまくった。けれどもこれで当初抱いていた希望も現実のモノとなった。ようやくネットワークにも繋げることが出来たし、メールの送受信も出来る環境が整った。パソコンは本当に設定との闘いだ。

これでだいたい準備も整ったので前々から気になっていたコトをやってみようと思う。それはネットショッピングだ。インターネットを利用して何か買う何か売る、というプロセスをそれぞれ学びたかった。その為にとことん検索をしてみた。いろんなホームページもとことん見てみた。そうこうしているウチに1つの疑問に気付いた。とは言っても結構、早い段階で気が付いたのは言うまでもない。頭が回転しまくっているとそんなモンだろう。<つづく>

トツゲキ人生「接続」

故障した部品の交換を終えて意気揚々と自宅へ戻って早速、パソコンに電源を入れる。すると、どうでしょう。聞き慣れない起動音。久方ぶりな起動音。これがパソコンなのか!?、うぉ〜〜〜っ何だか凄いなぁ〜〜〜っ、と目がパチパチするぐらい感動した。ところがどっこい起動させたもののさすがに何のこっちゃ訳が分からない。学生時代は論文を手書きで書いていたのだから無理もない。パソコンを使っている同級生を横目に知らんぷりを決め込んでいたが、もう逃げられない。ヤルしかないのだ。とりあえずインターネットというモノを使ってみたい。でも何だか足らない気がする。なんじゃ?、何か違う、、、とりあえずサッパリ分からなかったので妻に聞いてみた。恐ろしいまでに私よりもよく知っていた。昔はドスブイを使って仕事をしていたから、ってオイッ!!そんな大切なことは早く言ってくれんとアカンわ、と心の奥底で妻には決して聞こえないように叫んでいた。さすがに妻という生き物には10年以上過ぎる今もビビッている。とにかくインターネットをするには電話回線やらプロバイダとやらに何かをして何かをせなアカンようだ。ああぁぁぁ〜〜〜もうぅ〜〜〜その何かって何!?、そんな気持ちで悶々としていた。挙げ句の果てにキーボードすらマウスすら無い。別に知らなかった訳ではないが、単にそれどころでは無かっただけなのだ。

ここまで来たら諦める訳にはいかんので、とにかく例の親切極まりないNTTタウンページの担当者へ連絡した。鉄の心は20代前半でも健在だ。まったくもって何のことやら、と言わないばかりの対応だ。にも関わらず、回線のことは116に電話して相談してみて下さい、というアドバイス?をもらうことが出来た。その途端、瞬時に電話が切れたのでスグに116に電話した。116の担当者さんはとてつもなく親切だった。ちなみに電話のサービスとタウンページのサービスを提供している会社はそれぞれ別の会社であることを初めて知った。世間知らずのまま次のステップへ移った。ニフティというところへ連絡すれば良い、という情報を得たので早速、電話帳で調べてみたが掲載していない。ううぅ〜〜〜ん、困った。止む無くコンビニへ走った。ニフティが売っている期待をしていた訳ではない。コンビニのお兄ちゃんというのは大概が若いアルバイト。ニフティに繋がる何かを知っていると思ったので飛び込んだ。当てはピンポイントに的中。アプライドへ行けば多分ありますよ、という最強の情報を手に入れたので場所を聞いて即飛びした。パソコン機器ばっかり置いてある電気屋さんみたいな大きいところがあるなんて知らなかった。情報を足で稼ぐ習慣は既にこの時ばかりには身に付いていたようだ。

姫路東から姫路南へ直行!!アプライドをロックオン。やっとのことで辿り着いた。店内に入ってさらに驚いた。全部が全部、パソコン機器なのだ。こんなに大きいところがあるなんて驚きだ。そこで目を引いたのがジャンク品。粗大ゴミよりはマシだろう。ガサガサとガサツに漁っては物色。キーボードとマウスを数百円単位で手に入れた。よし一先ずこれでオッケーだ。次に一番の目的でもあったニフティについて情報を集めることにした。ショップの店員さんに聞いてみようと思ったのだが、そこはさすがにコレまでの経験が活かされている。一先ず話を聞いてくれそうな人を目で追って大きな声でみんなに聞こえるように質問した。

すいません!!どうか教えて下さい。ニフティって何ですか?

比較的大きな声だったので迷惑には違いなかっただろう。けれどもこの手法が知るには一番効果的なのだ。人間は、分からない、という言葉を避ける修正がある。その修正の渦中に埋もれて時間をロスする訳もいかないのだ。一部のショップ店員さんはさすがにニヤニヤと笑っていた。しかし直接的に質問させて頂いた方は、すこぶる丁寧な方だった。ニフティへのエントリーシートをもらったうえに、モデムという物も必要になる、ということを教えてくれた。藁をも縋る思い、を掴んでくれたのだ。人の見る目を養うのは本当に大切なことだと心底、実感した日でもあった。物は変化しないが人は変化するものだ。

即行トンボ返りの末、再びNTTへ連絡した。ただし116の方だ。幸いにしてテンポ良く話が進んだので、また改めて担当者から連絡をします、ということなので夕方からの仕事に備えて仮眠をとろうとしたその瞬間。チリリリリィ〜〜〜ン、と電話がいきなり鳴った。突然の事に多少ドギマギしてしまったが、サッパリ分からないことばかりだ、という事をシッカリ伝えて工事の段取りを予約した。キャンペーン中って事もあったので安心した。加えて無料という言葉には滅法弱かった。そんな訳で申込成立。その成立要件をもってして電話をきってからスグにプロバイダへ連絡した。言われるがままに申込エントリーを済ませて何を話して何を申し込んだのか、ぜんぜん覚えていない。普段は記憶力抜群なのだが苦手な事となると確実に訳が分からなくなってしまう。ただこの時ばかりは、怒濤のような初めてばかり、が頭にフリーズを仕掛けたのだろう。

とりあえず工事日当日には開通出来るように手配が整った。思い返せば、粗大ゴミから拾ってきたボロいパソコンを修理して使えるようにした。そして数百円程度で手に入れたマウスとキーボードも準備が完了。回線工事も無料手配出来たうえにプロバイダ契約にも繋がった。これで大学時代に経験したインターネットの再来を自分の手中に収めることが出来たのだ。当時、パソコンを買うには15万も20万も必要だ、と言われていたパソコンを5000円にも満たない金額で手に入れることが出来た。それにも増して、多大な知識や人脈そして人の温もりを手に入れるコトも出来た。費用を節約出来た、という喜びよりも遥かに大きな喜びを感じた。この感覚を大切にしなければならい。今後、心底困っている人がいれば絶対に助けてやらんとアカンmという気持ちになった。何事も決め付けて行動に徹してはチャンスを見出せないまま本来成功出来た可能性の芽を摘んでしまう、ということを身を以て学んだ。

1ケ月後が過ぎて日差しも強くなってきた7月初旬。いよいよ回線工事の日がやってきた。夏も間近になっていたこともあり、既存のお客様より科目の追加や受験の準備による依頼、そしてお客様のご紹介を幸いにさせて頂いていた。ただ新規のお客様は半年以上も音沙汰が無い。何とか生きていくだけの最低限の生活が整っていたが、これで安心してはならない。単なる短期的な処置でしかないからだ。根本的な問題を解決するまでは決して甘んじてはならない。肝に銘じていた。ようやく工事も終わったので、工事の方に確認の為、少しだけ待ってもらうコトにした。パソコンの電源を入れていよいよ起動が開始。マウスも動くしキーボードも動く。そこでドサクサに紛れて、どうやればインターネットに繋がるんですかねぇ〜っ?、と尋ねてみた。その場の空気を察してくれたのか簡単に教えてもらえた。一先ず言われるがままにハラハラドキドキしながらインターネットエクスプローラーをクリックしてみた。

・・・何も映らない。

心身共に静かな衝撃が走った。いろいろなモノが頭の中でトライ&エラーを繰り返す。間髪入れずスグに工事担当者さんがアドバイスをくれた。それは、接続の設定をしないといけない、ということだ。正に目から鱗だ。知らないことのオンパレード。さすがにアナログ頭からするとコンセントを繋いでスイッチを押せば全部出来ると思ってしまっている。頭の中では既に次なる課題と闘う準備が出来ていた。負けてなるものか!?、という気持ちが芽生えた瞬間だ。<つづく>

トツゲキ人生「解明」

、、、とは言っても家庭教師を一人ぼっちで始めた時からパソコンという代物を持っているはずがない。仮にもし手元にあっても節約をしなくちゃいけなかった背景の折にバイバイ対象(売買?)となっていたのは言うまでもない。とりあえずドコに行けばパソコンはあるのか!?、それすらサッパリだ。昔っから金のお掛かるモノや複雑なモノからは心身共に遠ざかっていた。最強に機械オンチだったからだ。VHS?、VHF?、よくは分からないがビデオの録画すらも出来ない。けれどもビクターが創ったモノである事は知っていた。加えて言うなればMDと言われるモノなんて一度も触れたことが無いままiPodやDVDの扱いにステップアップした。仕事に対しては全てが手書きで全てがアナログで、日頃の動き方から何もかもに至るまで昭和生まれ、携帯電波が届かない田舎生まれの性分が確実に染み付いている。挙げ句の果てにパソコンを買うという以前の資産力。吹けば吹き飛ぶ程度だ。お金があるからと言って嬉しそうに良い財布を買ってしまって入れるお金が無くなってしまうようなバカな真似もしたくない。でもパソコンが欲しい。欲しくて欲しくてたまらない。今もそうだが、欲しい、と思ったモノはスグにでも手に入れたくなる。そうでないと気が済まない。気が済まない気持ちが買いたい気持ちを上回る。そこで頭の中が複雑骨折するぐらいに考えた。考えて考えて考えて、そしてハッとした。

よしッ、とりあえず拾いに行ってみよう!!

落ちてるかもしれない。、という期待を持って、山に落ちてるのか海に落ちてるのか、その辺りをウロウロしまくった。ドコに落ちているものだろうか!?、とりあえず放り投げているゴミのようなモノでも良いのだ。とにかくパソコンと名のつくモノが必要だ。平成という時代は恐ろしいもので、比較的簡単に見付けるコトが出来た。信じられないかもしれないが実際には落ちていた。だからと言って、さすがに浜辺とか雑木林とかには落ちてはおらず、たまたま大ゴミの日に粗大ゴミの山々を嗅ぎ回っていたら見付けたのだ。よく考えるともう10年以上も前の話である。今考えるとアナログ過ぎる自分に笑えてしまうが、このキッカケは当初、想像していた以上に大きな力を宿してくれた。今や無くてはならない経験だ。ボッコボコに壊れたパソコンを目の前にしてご挨拶。そして車に常備していた車積工具を片手にフタを開けて1つ1つの部品をバラバラにした。今までに見た事も無いような部品ばかり。とてつもなく不思議な気持ちで紙と鉛筆とガムテを利用して設計図を書きながら分解した。これはまた後で組み立てるようにするためだ。丁寧に水洗いをして徹底的に干した。

ケースはアルミかプラスチックか、そんな不思議なモノだ。最初の印象は思ったよりも殺風景な感じ。バラバラにしたものの何が何だか分からないし誰に何を聞いて良いのかも途方に暮れて、とりあえずパソコン屋さんらしいと思うところを片っ端から攻めた。もちろん大手量販店も攻めた。とにかく電気のついているパソコンのありそうなところまで全てハシゴした。ボッコボコでバッラバラとなったパソコンらしい残骸をローソンのナイロン袋で持ち込んでくるのだから、そんなん持って来きてもらっても困る、というような表情を浮かべられながら持ち込んでは話を聞きまくった。そりゃぁ〜そうだ。ボッコボコでバッラバラのうえにボッロボロの容姿なのだから気持ちは分かる。作業着のまんまだった。間違いなく印象は良く無かったはずだが、典型的のB型の性分は健在だったようで気にも留めていなかった。そんなコトよりも目の前にある問題を解決したくて、解決したくて仕方が無かったので少しはスッキリ。これでもかぁ〜〜〜!!!、というぐらいに足を動かしたので結構、良い感じで理解出来てきた。さらに言うと動き回る途中、某ショップさんからセットアップの方法が書いてある簡単な冊子も頂いたのでラッキーだった。当時の私にとってはとてつもなく有り難かった。なんせセットアップという事すら知らなかったからだ。組み立ててボタンを押したら使えるぐらいにしか理解していなかった。棚から牡丹餅、というのはきっとこの事を言うんだろう。当初抱いていた1つ1つの問題を解決すべく1つ1つの部品の名前と用途と役割と繋がりを覚えることにした。記憶力は幸いにして20代前半の極みが功を奏した。

CPU、ハードディスク、メモリー、マザーボード、リモート、ピン、、、そうなんや!?、知らん事ばかりだが考えてみるとガンダムのプラモデルを組み立てるよりも単純なようだ。自分でも出来る、と軽はずみに思ってメモっといた紙とガムてを参考に元通り組み立ててみた。そして電源を入れてみると、どうだろう!?、電源が入るではないか!?、正直驚いた。まだまだ使えるやん、と思ったのも束の間。電源が入るにも関わらず、しばらくしてからプゥーーーーーーーーーーーッと言う雄叫び。驚いて即行、コンセントを抜いた。壊れていたのだ。やはりゴミはゴミなのか!?、再び途方に暮れた。暮れた。暮れた。くれた?!、そうだ!!!あのショップさんのところで相談してみようと考えた瞬間、パソコンを片手に再び訪れていた。もちろん閉店間際の間一髪状況。もうスグ仕事が終わる寸前だと言うのに一様の技術的なチェックを行ってくれただけでなく、アレやコレやと教えてもらった。時計は既に閉店から1時間も2時間も経過していたにも関わらず、とっても多くの知識を教授してもらった。ショップさんの心意気、そしてお力には感謝感激。言葉にはならない言葉で、、、

『○○さん!!僕は今ぜんぜんお金が無いんです。お礼も何も出来ない自分自身が情けなくて・・・ゴミみたいな人間がゴミを持ち込んで・・・迷惑しか掛けてません・・・時間も奪ってます・・・本当にごめんなさい・・・でも本当に本当に本当にアリガトウございます・・・』

気が付くと手や足が震えて目からは自然と涙が溢れていた。心の底から感謝していたのだ。ショップさんいわく、完全に目が据わっていたからネッ(笑)、という事だったが間違いなく良い意味でそれだけでは無かったように思う。そして結論が出た。 一先ず壊れたハードディスクと2枚あるウチの壊れたメモリー1枚を交換すれば復活するらしいので早速、部品を交換してもらうコトにした。実に奇跡的に近い状態でそれ以外は幸いにして無事だった。使えそうな中古のメモリーと個人情報を削除した中途半端に使えるハードディスクを財布の中身全部と交換した。確か3000円ぐらいだったはずだ。財布は空っぽになったけれど何だか心が満腹になり、久し振りに人の優しさに触れることが出来た。<つづく>

トツゲキ人生「初戦」

けれども当初お話した担当の方ではなかった。何度ぐらいタライ回しを味わえば良いんだ!?、だからと言って贅沢は言えない。ここで引き下がってなるものか!!、とは言っても少し安心した。担当の方が決まったのでこれから広告掲載のお話を進ませていく、という内容を伝える為のご挨拶の電話だった。要するに担当者が決定したという連絡。それでもこの電話の機会を活かすべく、前もって準備しておいた質問シートを電話越しで打つけた。かなり迷惑そうだったが、そんなコトはどうでも良い。必要な情報を手に入れなければ意味がないからだ。ここで電話を切ったら次に繋がらない。電話を切りたそうにしていたのは明白。けれども一様に答えを得られるまで繋ぎ留めた。恐らく1時間近くは喋っていただろう。

いろいろ見えてきた。NTTタウンページの広告料金というモノは、地域や大きさやカラーによって樹形図的に散らばっている、というコト。掲載内容が決まったら事前審査を経て許可がでないと掲載出来ない、というコト。言葉のキャッチボールで原稿が出来上っていく、というコト。そして担当者も売り上げを伸ばそうとして揺さぶってくる、というコト。 そんなアレコレ情報をリサーチして2月の段階ではこれらを吟味することにした。次は4月か5月のゴールデンウォーク辺りに連絡する、という大雑把な感じ。否めない感情は確実に残るが私情を挟んでも生産性は無い。どうせ大した広告なんて掲載出来ないんだから何をムキになってるの!?、みたいなコトを電話越しでヒシヒシと感じた。社会というものは自分が思っているよりも甘くはないものだ。

まずはどんな広告にするのか、を考えるべく当時にまだ縁の切れていなかったお客様が在籍する派遣会社掲載のタウンページ広告をチラッと確認した。大凡ではあったものの電話越しのヤリトリで広告料金を覚えていた。そして見てビックリ!!、料金の掛けっぷり具合に圧倒された。次に他の業者さんのモノも確認した。目が・・・になり生唾を飲んだ。そんなに予算は掛けれない、というよりもむしろ存在しない。どうしたものか!???、頭を使って時間も使った。とりあえず資金以外の何もかもを使うしかなかった。そこで一ケ月程度を要したが、ある一定の共通点を見出すことが出来たのだ。色を使わずに広告が大きい、料金を出しているところが少ない、みんな同じ感じで字が小さくて見難い、というものだ。あんまりスマートな感じには見えない。これにはもの凄く違和感を覚えた。費用と内容にギャップが有り過ぎるにも関わらず、広告の大きさが違うだけで、みんな同じようなモノばかり。ナゼだ!?、ナゼだ!?、ナゼだ!?、、、そのナゼを解明するのにそんなに時間を要さなかった。節約作戦も功を奏して息はカツカツ。待ちに待った約束通りのゴールデンウィーク前に連絡があり、いろいろ話をしている最中にハッとした。

NTTタウンページは正に広告戦略のプロ。確かにそうだ。間違いない。けれども、やはり話をしていても何となく???が残るのも間違いない。気のせい、であると信じたい。とは言っても気になって気になって仕方がない。電話で話していてスグに分かったのが、広くて浅くてベクトルが違う、という印象だ。ましてや教育業であるという観点と広告掲載であるという観点を結び付ける戦略的な効果が感じられない。それぞれの内容が独立しているのは一目瞭然。接着剤的な役割が見当たらない。業種別に戦略が異なっていても良さそうなものだが、特にそんなコトも無いようだ。恐らく担当者によって経験や知識が大きく異なるのだろう。当初、スペシャリストであるがゆえ期待をして全部お任せする方が良い、という錯覚に陥っていたがそれは大きな間違いだと電話中、瞬時に気が付いた。

浅く広くではダメ。狭くても良いから深く濃くでないと来年に繋がらない。つまり、ギュッとやって様子を見て反省を生む手法が必要だ。そうでないと永続的に集客を見込める広告掲載には繋げられない。戦略的に考えないで手を拱いているからこそ、掲載スペースを大きくしなくちゃいけない、という衝動に駆り立てられているのだ。大きければ見る!?、そんなコトはないだろう。そこにあれば見るもんだ!?、大きさ如何で見る見ないの設問に対して、見ない、を選択する者はいない。当たり前のことだ。大きかろうと小さかろうと、そこに存在し中身に魅力的な要素が含まれているのであらば立ち止まる。

よしッ、イケる!!

反省→改善→効果、へと繋げる為に3年。・・・→研磨→節約→安定、へと繋げる為にさらに3年。うん!?何だか良いじゃん、ってな具合を想像するには大凡6年程度の月日を要する。もちろん時間が掛かり過ぎているのは百も承知。けれども誰にも責任を押し付けることもなく、失敗しても成功しても野垂れ死んでも自分一人で済む。この期間に自分も想像もしなかったようなチャンスが起きるかもしれないし、いろんなアイデアも芽生えるだろう。自分の仕組んだ取り組みに従って、自分が尽力を果たせば必ず報われるはずだ。わッ!?アカン、って思えば舵を切り替えることは出来るだろう。人間というものは自分の思っている程以上に結構、都合良く出来ている。とは言っても資金が薄っぺらい。体を酷使してでも成し遂げようとしている人間が、よくも、まぁ〜〜〜ッ、こんな偉そうなことをペラペラと言えるものだと笑ってしまう。B型という血液型でなければ、こうは言えなかっただろう。固まった3つのイデオロギーを挙げると次の通りだ。色を入れて小さいサイズ、料金を大々的に公開する、日頃培ってきた情熱を言葉に入れる、というシンプルなもの。

ワクワクしながら1、2ケ月を待った4月下旬。再びNTTタウンページ担当者から連絡があった。畳み掛けるような話し方で電話一本の数分程度でパパッと決まっていった。前回、前々回の電話越しが尾を引いているようだ。まぁ〜これもご愛嬌だろう。嫌われるのは慣れているので、こちらサイドはまったくもって問題ない。掲載エリアは兵庫県中播磨版のたった1つ。スタイルはホワイトノックアウト1/8サイズ。料金は月額2万円程度。恥ずかしいことにコレが何ともキツかった。後日、担当者から正式な契約書が送られてきた。もちろん即時捺印、即時返送してハイ!!完了。昨年のドタバタ劇から考えると早いもので既に半年が過ぎていた。いよいよ9月10月の掲載アップを期待するだけとなり意気揚々。NTT大作戦も一段落して自然と共に人並み程度に安全に生きていくことが出来ている。せっかく創った手書きチラシを印刷屋さんに出して新聞折込を再びする意味も資金も見出せないまま数ヶ月を過ごすのはもったいない。時間だけは、とにかく結構たくさんあった。

よしッ、次はパソコンを勉強してみよう!!<つづく>

トツゲキ人生「機転」

仕事以外の膨大な時間と少なくなったチラシだけがあった。仕事の時間よりも空いている時間の方が多かったので子供の手前、朝から家を出ては歩く歩く歩くだけをやっていた。とりあえず少ないチラシを片手に周囲を見渡しながらダラダラと夜遅くまで配っていた。全てのチラシのポストインも終えて。いよいよ途方も暮れて公園のベンチに座ってボーーーッしていた時のことだった。ポストインを終えた最後の家の門扉あたりに分厚い本のようなモノがあることに気が付いた。

「あれ何や!?、あぁ〜タウンページかぁ〜!???、あんな門扉のところに置いてんねんなぁ〜〜〜ッ!?・・・・・・・・タウンページ!?、アッそうか☆」

寝転んでいたのですが気が付いた時には即行、飛び起きてました。時期も時期だったようで電話帳の入れ替えだった。気が付いた時には既に夕方を過ぎて夜遅くにもなっていたので帰宅して早寝早起き。タウンページに広告を出す、ということを思いついて朝早く早々にNTTタウンページへ問い合わせた。けれども話がグルグル回るだけで、お目当ての内容が掴めない。ビジネス社会慣れ、社会人慣れをしていなかったのがバレバレだったようだ。A→B→C→D→A・・・というような流れのタライ回し。普通ならば憤り満々。けれどもそんなコト言うてられない。自分が欲しい情報を得る為に至るところから至る角度で発信していく。怒濤のように発信していく。手に入るまでは決して諦めない。相手がNTTだろうと何だろうと欲しい情報は欲しいのだ。追い込み過ぎたのか、どうかは不明だが挙げ句の果てに先方からは「その担当者は今日辞めた。」という始末。そこまでして話がしたくないのか!?、、、

それでも絶対に諦めなかった。そんなヤリトリを3、4日程しまくって、ようやく話を聞いてくれた。ただ怒濤のような勢いもありギクシャク極まりなかったが、欲しい情報は得られた。9月から10月に掛けての時期は、古いタウンページと新しいタウンページの入れ替え時期なようで、来年度申込は翌年1月ないしは2月ぐらいになるらしい。とりあえず連絡を入れてくれるようなので、思いっきり期待して数ヶ月を凌ぐことにした。けれども、よくよく考えた。申込が1月ないしは2月で入れ替えが9月10月ってことは、1年も待たなければならない、というコトだ。10月も初旬ともなると残された時間は、後5ケ月をきっている。持ち直さなくてはならん。チラシに与えられる資金なんて皆無。広告が出来ないにも関わらず空白のタイムラグを乗り越えないといけない、と考えると背筋の凍る思いだ。

どう凌ぐ!?、自分自身に何がある!?、何が出来る!?、とことん考えた。まずは売れるモンを全部、売ることにした。車だろうと服だろうと本だろうと、何だろうと売りまくった。最低限、仕事の出来る身辺だけは整えて後は全て売りまくった。とことんだ。車に至ってはバラバラにしてから売った。車を触る趣味もあったのが幸いした。これで数ヶ月程度も寿命は伸びた。そして次に考えて行動に徹したのが、気持ちが折れそうな程の恥も外聞もない徹底的な節約だ。自分自身の24時間を考えた。睡眠時間を削って日々、疲れを残すような状態にした。体力を節約するコトを考えたためだ。さらに1日2食に徹して、朝ご飯には砂糖や塩を入れただけの水で過ごした。昼ご飯に至っては、ほぼ食べなかった。移動中、喉が渇けば公園の水を飲んだり、頭にパワーが無くなればチョコレートを刻んで食っていた。時折、お客様から頂ける御心遣いには感謝感激を覚えたものです。本当に涙が出る程に、手が震える程の気持ちでした。夕方夜になって腹が減れば頃合いを見ながらコンビニの廃棄弁当をもらっていた。来るべき日のことを考えると恥も外聞もあったものではない。指を指されても冷ややかな目で見られても、とにかく耐えた。例え1食でも私1人分の食い扶持で大きな節約に繋げられるのならば良いという思いだ。もちろんのコトだが妻や子供だけには、そんな思いを決してさせてはいない。さすがに過酷過ぎるからだ。これは私の範疇で行うべきだ。 頭と体が悲鳴をあげそうになりながら時が経つのも早いもので雪が散らつく2月下旬。とうとうNTTから連絡があった。ついにやって来た。<つづく>

トツゲキ人生「折込」

一本も電話が鳴らへん。

不思議と思ったので、再度、新聞屋さんに折込チラシを持ち込んだ。それでもヤッパリ電話は無い。ナゼ無いのか!?、という疑問が浮かんで頭と体が自然と動いていた。問題は必ず解決せねば昔っから気が済まないので、1つ1つチェックマークを作って分析した。

チラシを創る、にあたっては電気屋さんとか近所のスーパーのチラシ等の見え方を活用していた。けれども唯一同業他社のチラシは一切、参考にはしなかった。同じようになりたくなかったし、変な固定観念がついてしまう恐れがあったからだ。それは今も変わらない。チラッと見ても、しょうもない!!、と心で呟いて無視していた。印刷サイズも考えた。もしかすると大き過ぎるかもしれないが、何となく見栄えが良いA4サイズを少し大きめの雑誌ぐらいでイメージしていたからだ。考えなくして決めていない。印刷媒体はどうだったんだろうか!?、恐らく一番問題無いだろう。自分が思っている以上に素晴らしいモノが出来たと言っても過言ではないからだ。まだまだヒヨッコだった目には、そう見えた。そこで1つの疑問にぶつかった。ちゃんと配られているのか!?、というものだ。そこで前回、前々回の新聞折込分を確認して気付いたことがある。不審な共通点を見付けたのだ。その点とは、二重にチラシが入っている、というものだ。チラシが本当に手配されてるのかを確認していた。もちろん確認するとちゃんと入っていた。入っている、という嬉しさに死角があった。入っている枚数までは気にも留めていなかったのだ。それに気付いてからは確認すべく再度、同じような感じで、同じような新聞屋さんに同じような手配の方法で折り込みをお願いした。そして来るべきチラシが入る日やってきた。新聞を早々にチェック。

やっぱりだ!!!

衝撃的だったがここまでズサンだったとは思わなかった。やはり二重に入っていたのではなく、二重に入れていたのだ。それは私のところだけではない。チラシというチラシの大半の会社のチラシが二重に入っていたのだ。これまで1回3000枚程度のチラシの役割が1500枚程度の役割しか果たしていなかったのだ。もう愕然とした。社会というものは本当に厳しい、というのを目の当たりにした。気が付かなかった自分が悪いのだから仕方無い。今更文句を言ってもフラフラと逃げられるだけで時間の無駄だ。

この時から新聞の折込チラシを一切しなくなった。良くも悪くも良いキッカケだった。予算も空っぽ状態で手元に数枚程度残ったチラシを朝から晩まで手配りした。さすがに数枚程度では反応も皆無。電話なんてあるはずもなく無く、新聞折込チラシ大作戦は木っ端微塵となって消え失せた。資金も無ければキッカケも無ければチャンスも無い。だからと言って何かしらの手を打たなければ潰れてしまう。生き残る為にとにかく頭という頭を振り絞った。もう必死だ。気が付けば残暑も過ぎ去ろうとしていた9月半ば。数枚程度残ったチラシを手配りした時の記憶が頭の中を駆け巡った。若いかれし記憶力と発想力は健在を極めていたようだ。チラシで下手した経験が功を奏したのだ。。。<つづく>

トツゲキ人生「若葉」

登録派遣により獲得したお客様を少しずつ減らしていくコトだった。時と場合を考えたとしても確かに苦渋の決断であったのは間違いない。フツーならば・・・という考えを以て物事を吟味すると、私のやろうとしているコトは不思議で不自然なことばかりだ。喉から手が出る程に欲しいお客様を減らすのだから止むを得ない。ただ目先の利益ばかり追い求めては、大きな将来性を確保することには決して繋がらない。要するに甘んじてはならんのだ。そもそも今、預からせて頂いているお客様は自分自身の力で獲得したお客様ではない。派遣会社を通じて獲得したお客様ばかりであり、家庭教師としてその末端を支えているだけにしか過ぎない。家庭教師が良くてお客様から指示されたのではない。派遣会社のシステムに興味を示して頂いたからこそ、今のお客様がいらっしゃるのだ。ココを変えないといかんのに私情を挟んで、あぁ〜でもない、こぉ〜でもない、という理屈をこねるのは大きな矛盾。だからこそ脱却せねばならない。

今のお客様を家庭教師そのものに魅力を感じて頂けるお客様に変化させれば自ずと成功は導かれるはずだ。ニーズが無ければ今の状況には至っていない。ニーズは存在している。お客様は問題を抱えて困り果てている。だからこそご依頼に繋がる。けれども現状では、その辺りに見当たらないからこそ、間口の大きいところへどうしても目と足が運ばれてしまう。料金的な問題やシステマティックな仕掛けがスクランブルされているにも関わらずお願いしないといけない状況がある。例え向こうサイドの見えない不安感が存在していても、ご依頼の一途は途絶えていない。他に無いからお願いするしかないからなのだ。確実にジレンマが存在している。このようなジレンマが起こらないような仕組み創りを行えば、自ずと価値観のあったお客様が連絡して下さるのは間違いない。お客様を信じて自分自身のヤルべき事を信じて取り組むべき行動に全力で徹するしかない。お客様が気になられるポイントは、とってもシンプルでクリアーでないといけないはずだ。私には半年後に絶望的な極地が控えている。資金が底をつくのも最早、時間の問題、ということも既にこの時ばかりは明らかだ。恐らく半年と掛からないだろう。何とかして登録派遣以外の手段でお客様を確保しないといけない。勝負に出るしかない。

「そうだ、宣伝広告をしよう!!!」

真っ先に思い付いたのが新聞の折込チラシ。さすがに陸の孤島で大声をあげても手をあげても、周知させるコトが出来なければ単なる家庭教師ゴッコをやっているにしか過ぎない。知ってもらうコトはとても大切だ。とにかく新聞の折り込みチラシを制作することにした。チラシなんかの作り方なんて、まったく知らない。だからとにかく各種様々なチラシを参考に作ってみた。当時、パソコンの使い方がままならなかったので、とりあえずA3サイズ程度の大きい紙に手書きで精一杯書きまくった。それを印刷会社へ手持ちで持ち込んで印刷をお願いした。もちろん変な顔をされたが私の目から火花のようなビームのような光線が出ていたようで、個人の持ち込みは受け付けられない、というルールをひっくり返した。印刷も仕上がって最後に新聞屋さんへ持ち込んで折り込みを依頼して待機した。まさか、この新聞屋さんへの持ち込みが今後、大きなドンデン返しとなろうとは知る由もなかった。社会の厳しさ、を改めて実感したのだ。。。<つづく>

トツゲキ人生「岐路」

・・・・・家庭教師で正社員採用が無い、という状況!?、うそん!?、マジで!?、正に知る人ぞ知る状況。要するにここにきて絶体絶命の危機。正社員だかパートだか、よく分からないものならばあるのだが、自分のイメージしている将来性を構築出来るような環境が整っていない。恐らく採算が取れないからだろう。家庭教師の社会的ポジションとはそんなモンだ。だからと言って学習塾業界や予備校業界に身を置く事を考えるか、というとそれはしたくない。なぜならばそれでは根本的な問題解決には至っていないからだ。20余年学んできたことで学んだ事は、諦めちゃいけない、ということ。しかし家族を養わなければいけない。もう本当に悶々とした。だからと言ってクヨクヨはしていなかった。そんなコトするよりも、やんないといけないコトがたくさんあったからだ。

当時は今と同じような感じの就職超氷河期。けれども今のように、国から支援があったか、と思い返してみてもそんなに覚えていない。自分が就職する、というポイントで何か違和感を感じていたからに違いない。就職を無視していた。家庭教師で正社員が無かったからと言って今更、就職活動を行っても梨の礫。早々にヨーイッドン!!をきっている同年代達やフレッシュマンに先を越されており、就職戦線を渡り歩いても勝算は無いし、生涯賃金を計算してみても何だかパッとしない。時間の無駄というと言い過ぎだが時間を効率的に有効活用していないのは明らかだ。それ相応に頑張って、それ相応の報酬をもらって、みんなと同じような感じで日々を過ごす。何だか刺激が無い。めちゃくちゃ失敗するか、めちゃくちゃ成功するか、そんなハラハラドキドキした20代30代を生きないと、40代50代になった時につまんない自分の人生に自暴自棄になる可能性が大きくある。それでは本当にオモシロくない。

ダイヤモンドも磨いて磨いて磨きまくってこそ光り輝くものだ。仕事を寄ったり、好き嫌いをしている訳でも何でも無い。人生を充実させるべきイデオロギーが私には存在しているからなのだ。恐らく理系ってそんなモンだろう。何事も追究すれば自ずと欲するものは手に入ると分かっているからこそ、個人的感情一切度外視で行動出来る。決めればとことん拘ってしまうし、継続させてしまうのだ。もうこうなったら就職活動で同じようにしんどい事をやるなら、自分で営業やって一生懸命に仕事(家庭教師)をやってみる方が良い。むしろ、その方が近道なのかもしれない。

「家庭教師で正社員が無かってん。もしやっていけんようになったら働いてもらわなアカンねんけど、ええやろか!???」

我が子を抱く妻の目を見て胸が張り裂けそうな気持ちで話をした。もちろん離婚されても止むを得ないからだ。自分自身の覚悟は固まっていた。その空気を察知していたかのように、静かに微笑みながらうなずいてくれた。言葉は無かったが大きな勇気に繋がった。あの時の情景は今でも覚えている。妻の「ここぞ!!」という時の腹の据わり具合に感服した。その時、財布の中には数える程の千円札と明日を生きる為の百円玉が数枚程度しか無かった。当時のヤリクリには本当に感謝している。

もうヤルしかない!!、ヤルしかないんだ!!、選択肢はただ1つ。前へ進むだけッ。無いなら創る!!、絶対に創ってやる。勢いも極まって頭はいつものようにフル回転。まずは私が始めたコトが・・・<つづく>

トツゲキ人生「一歩」

大学の卒業が大凡決まってきた頃、私は家庭教師という職種を生業にしようと決意した。けれども当時決意した時はまだ卒業をしていなかったコトを覚え ている。もちろんだが、卒業式にすら出席していない。そんな余裕なんて無かったからだ。とにかく生きていかなきゃならない。家庭教師で生計を立てる為に0円モバイル携帯を片手に、とにかく片っ端から家庭教師登録をした。若かれし脳ミソでは、それぐらいしか思いつかなかったのだ。0円でお客様を集める方法だからだ。教材派遣、会員派遣、純粋?な家庭教師派遣、兵庫、大 阪、京都、東京、神奈川、千葉、、、何が何でもの気持ちで手当たり次第登録しまくった。システムだろうと地域だろうと、能動的にも受動的にも登録をしま くっては仕事そのものを得ていた。というよりも掴みまくっていた方が表現としては適切だっただろう。

なぜならば大学卒業後には既に結婚を決めていたパートナーがいたのだから無理も無い。相手は警察官の娘さん。まさか大人になってからもお世話になる とは思ってもみなかった。もちろん良い意味でだ。よく許してくれたものだ。 就職活動なんて一切皆無。就職の前に結婚が決まっていた。さらに不安定。加えて培った体力も無い。若い時のパワーと勢いは恐ろしいぐらいの不思議を生むよ うだ。それに加えて若干、年齢的な事情も重なっていた。大した差では無いのだが6つ程度の差がある。もちろん年上だ。そうなると必然的に考えられることが ある。それは子供のこと。結婚を決めた当時の人生設計で、子供3人欲しいけど無理やろなぁ〜!?、という言葉が妻の口から浮上していた。静かに重く伸し掛 かるモノがあった。けれども否定はしなかった。諦めちゃいけないよ!!まだまだ始まったばかりじゃないか、という気持ちで伝えられる限りの情熱を伝えた。 ともかく気持ちの中では確実に存在力を増していた。選択肢は1つでなければならない。絶対に叶えてやるから今に見ておいてくれ!!、だからと言って説得力 は無かった。年齢的にも身辺的にも経済的にも、それぞれの集合体が重なったところのド真ん中にシッカリと佇んでいたのだから無理もない。

幸いにして自然の摂理も重なって丁度10年前にB型の人間性を宿したO型が誕生。第一子だ。子供が誕生すると人間は大きな成長を果たす。恐らくパパとしての第一弾成長期と言っても過言では無いだろう。要するに、人生を歩むうえで本気にならなければならない、という覚悟を決めることが出来るのだ。このままではいけない、というコトは子供が1年2年と育つにつれて心身ともに自覚していった。経済的な不安定をとにかく解消する、という課題を何とかせねばならん。不安定を解消しないと我が子の人生に大きな影響を及ぼしてしまう。それではいけない。我が子の人生すら成功に導けない人間が、お客様の大切な御子様を成功に導くことが出来るはずもない。

よしッ、正社員で家庭教師をやろう!!!、と思って徹底的に調べまくった。そこで、まさかの事実を初めて知ったのだ。妻子もいる、家賃を払う、貯金も無い、さらに押し寄せる仕事の減少。こんな身辺で家庭教師の現状を知り、心身ともに衝撃が走ったのを今でも覚えている。その状況とは・・・・・<つづく>