一本も電話が鳴らへん。
不思議と思ったので、再度、新聞屋さんに折込チラシを持ち込んだ。それでもヤッパリ電話は無い。ナゼ無いのか!?、という疑問が浮かんで頭と体が自然と動いていた。問題は必ず解決せねば昔っから気が済まないので、1つ1つチェックマークを作って分析した。
チラシを創る、にあたっては電気屋さんとか近所のスーパーのチラシ等の見え方を活用していた。けれども唯一同業他社のチラシは一切、参考にはしなかった。同じようになりたくなかったし、変な固定観念がついてしまう恐れがあったからだ。それは今も変わらない。チラッと見ても、しょうもない!!、と心で呟いて無視していた。印刷サイズも考えた。もしかすると大き過ぎるかもしれないが、何となく見栄えが良いA4サイズを少し大きめの雑誌ぐらいでイメージしていたからだ。考えなくして決めていない。印刷媒体はどうだったんだろうか!?、恐らく一番問題無いだろう。自分が思っている以上に素晴らしいモノが出来たと言っても過言ではないからだ。まだまだヒヨッコだった目には、そう見えた。そこで1つの疑問にぶつかった。ちゃんと配られているのか!?、というものだ。そこで前回、前々回の新聞折込分を確認して気付いたことがある。不審な共通点を見付けたのだ。その点とは、二重にチラシが入っている、というものだ。チラシが本当に手配されてるのかを確認していた。もちろん確認するとちゃんと入っていた。入っている、という嬉しさに死角があった。入っている枚数までは気にも留めていなかったのだ。それに気付いてからは確認すべく再度、同じような感じで、同じような新聞屋さんに同じような手配の方法で折り込みをお願いした。そして来るべきチラシが入る日やってきた。新聞を早々にチェック。
やっぱりだ!!!
衝撃的だったがここまでズサンだったとは思わなかった。やはり二重に入っていたのではなく、二重に入れていたのだ。それは私のところだけではない。チラシというチラシの大半の会社のチラシが二重に入っていたのだ。これまで1回3000枚程度のチラシの役割が1500枚程度の役割しか果たしていなかったのだ。もう愕然とした。社会というものは本当に厳しい、というのを目の当たりにした。気が付かなかった自分が悪いのだから仕方無い。今更文句を言ってもフラフラと逃げられるだけで時間の無駄だ。
この時から新聞の折込チラシを一切しなくなった。良くも悪くも良いキッカケだった。予算も空っぽ状態で手元に数枚程度残ったチラシを朝から晩まで手配りした。さすがに数枚程度では反応も皆無。電話なんてあるはずもなく無く、新聞折込チラシ大作戦は木っ端微塵となって消え失せた。資金も無ければキッカケも無ければチャンスも無い。だからと言って何かしらの手を打たなければ潰れてしまう。生き残る為にとにかく頭という頭を振り絞った。もう必死だ。気が付けば残暑も過ぎ去ろうとしていた9月半ば。数枚程度残ったチラシを手配りした時の記憶が頭の中を駆け巡った。若いかれし記憶力と発想力は健在を極めていたようだ。チラシで下手した経験が功を奏したのだ。。。<つづく>