、、、とは思ったものの何をどうすれば良いのか、なんて相変わらずサッパリだ。とにかく方法を見付けるべく鉛筆とメモ帳とガムテを片手に日々、検索、検索、検索の嵐。サーバーと言われる箱が必要であるというコト、パソコンはそのサーバーから情報を受け取っているだけにしか過ぎないというコト、その他にもソフトと言われるファミコンのカセット以来聞いたことが無かった何かが必要であるというコト、そんな諸々を学んだ。とにかく膨大な設定と環境、そして想像もしないテクニックが必要なので、無知な人間が一遍に全部する、なんてのはナンセンス。1つ1つでも良いから日々着実に進めていくしかないと実感し、アナログ的に進められるコトから順序良く時間をかけて進めていくことにした。薄っぺらいレベルからでも身に付けられる知識を吸収しつつ、わざわざ手間隙を掛けて一定の水準に到達することを目標に取り組むしかなかったのだ。気の遠くなるような作業だが後にも先にも引けないので、漸進するしか道は残されていない。そこで、まず最初に実行に移したのが、ホームページに掲載する屋号を決める、ということだ。要するに法人でいうところの会社の名前。コバンザメのような感じで家庭教師派遣業者を頼りにしていた習慣から脱する姿勢を示しながら個人事業主として半独立状態を継続していた当初、『姫路白浜塾』『和田アートプロダクション』という名称で活動していた。今だからこそ思うのだが、このような名称でいくら頑張ったって遠回り以外の何モノでもない。成功の一途を歩む前に時間に押し潰されていただろう。それではいけない!!
パッと見てハッとさせる名称、でなければならないと気付いた。そこから私だからこそ出来るノウハウを惜しみ無く注入出来る可能性を表現すれば良い。屋号というのは本当に大切なモノであるというコトを身を以て体験したのだ。考えなくして目先のモノだけでは決めちゃいけない。人は無意識の内に繊細な考えをもって皆シンプルに生きているものなのだ。複雑そうだ、よく分からない、という要素を含む名称では決して先へは繋がらない。その考えに至ったヒントが実はごく身近に存在していた。パソコンを便利だと思う方々はキーワードを叩いて何かを検索した末に判断したり行動したりしている。しかしむしろその前から期待という無意識の衝動に浸っている。パソコンとうのは自分の探したいモノがもの凄くシンプルに目の前に出て来るからこそ便利だと思う。けれどもパソコン事態に便利を感じている人は少ない。パソコンはあくまでも環境を支えるツールにしか過ぎないからだ。もの凄く便利で、もの凄くシンプルなサービスを提供する構造を持っているツールでしかない。パソコンという名称は斬新だ。このワードを目にした途端に、とにかく便利である、という事実を目の当たりにする。役割をその名称に置き換えたカタチで我々の心の中に無意識に飛び込んでくるのだ。パソコンという入り口を以て、検索したいという衝動を掻き立てている。誰にも存在している期待という心情がユーザーの背中を自分自身の中で押している。そして検索すればする程に奥へと進んでいき、気が付けばパソコンの虜となっているもの。既にパソコンから離れられなくなっている。けれどもこれが錯覚。本来は、パソコンが支えているネットワークの楽しさや感動から離れられないだけなのだ。本質はそこに存在していた。
そういった価値を見出せるような名称を生み出さなくちゃいけない。そして、いつものように3つに要素を絞り込んでよく、よく考えてみた。「3」という数字に拘っているように見られがちだが、特にそんなコトはない。単純な話だ。だからと言って「4」という数字にどうこう言う感覚も無い。「3」という数字は、3本あれば十分に柱としての機能を果たす。そしてそれは次なる1へと繋がっていく。そこで、家庭教師をする、学習塾もヤリたい、受験生への違和感、これらの組み合わせを最終的に1つにするべく名称を考えた。
家庭教師、塾、受験、、、家庭教師、受験、塾、、、、受験、塾、家庭教師、、、そうだッ☆コレだぁ=====ッ、受験塾家庭教師、、、これしかない!!!
頭の中で電撃が走った。これ以外にセンセーショナルな名称が思い浮かぶはずもなかった。多少の不安もある。受験に関係がないお客様からの連絡は薄いだろう、というデメリットが存在しているのだ。けれどもこれを逆転の発想に転換することで、それを遥かに上回るメリットを築き上げる可能性は十分にある。時間を掛けて創意工夫することで勝算は必ず増大する。ブラッシングに明け暮れる日々を過ごせば良いだけの話。伸びシロは十分にある。このようにして『受験塾家庭教師』という名称は生まれた。夏休みも丁度終わりつつあり学校も始まっていた時のコトだったように思う。夏過ぎに名称を生み出したものの現在、受験塾家庭教師の創業を一応、2003年の4月というコトにしている。名称が生まれたのが8月か9月かという時期。多少の時期的な誤差はあるが本質的な活動自体は心機一転4月から始めていた。将来的に会社として何らかのカタチで世の中に出したいという考えがあったので止むを得ない。活動が始まり、名称が生まれる、というアベコベな順序なだけに過ぎないと思っている。今も当時も考えにあまり変化は無いようだ。何ら抵抗感はない。例え順序がアベコベであっても、デメリットを上回る程のメリットを構築することでお客様の満足に十分に繋げれば良い、という副産物的な考えを手に入れることが出来たからだろう。
そうこうしている内に気が付けばタウンページの広告掲載時期でもある10月に差し掛かろうとしていた9月下旬。いよいよ広告主にタウンページが配られて目を見張った。<つづく>