感動もそこそこに改めて気が付いたことがあった。やはり他社の掲載範囲は大きい。大きい掲載はどうしてもカテゴリの最初にやってくる、というコトが世の常であるのはエントリーの段階で従順に承知していた。やはり掲載は大きいモノにしておくべきだったか、と不安になることもあった。けれどもギリギリ状態が続いていたので贅沢は言ってられる訳もなく、依頼の電話が鳴るのを待った、待った、待った。10月上旬も知らぬ間に過ぎて祭りも終わり、11月へ突入。アッと言う間に12月となり年末に差し掛かったクリスマス前後にようやく1件。単なる質問だけで依頼には繋がる気配がまるで無しッ。年末の寒い時期には幸いにも御紹介を立て続けに数件程度も頂いており、奇跡的にも食い繋ぐコトが出来ていた。けれども必然では無かったゆえの不安はあった。けれども口コミの絶大さをヒシヒシと感じていた。無ければ確実に虫の息となり静かに消えていたのは明らかだったからだ。
知らぬ間に年も明けて電話も鳴らない相変わらずな日々を過ごしていた1月下旬にNTTタウンページから連絡があり、広告担当者が変わった、というご挨拶を受けた。何気ない会話も終えて少し気が付くことがあった。それは、毎年このタイミングになると必ず連絡をしてくれる、というコトだ。理由が無ければ連絡はしない。けれども何かしらの理由が存在するから連絡する。もちろん多種多様なケースはあるだろう。タイミングを見定めた一手には必ずと言って良い程に理由や根拠が存在していなければならないもの。そうだ!!この1年はタイミングを見定める1年として足踏みをしよう。タウンページ広告のブラッシュアップと最大化、ホームページ制作を目指し、とにかく挑戦していくコトを決意した。
2月3月の寒さもだいぶん緩んできて受験も終わり、家庭教師派遣会社から頂いていた家庭教師のお客様もいよいよ全て無くなった。タウンページの掲載から半年程が過ぎ、新しく思い付いた屋号名と掲載した屋号名との狭間ではあったものの一切連絡が無い。不幸中の幸い!?、そんなバカな。間違いなく毎年のように訪れる4月5月という屈強を乗り越えるべく何も出来ない苦しさに身構えていた。この1年がダメだったら必然的にもう終わりだ、という気持ちでご紹介頂いたお客様や再び継続頂いたお客様が最後のお客様になるコトを覚悟した。そう考えると、やはり学習指導にも熱が入って目の色や言動からは猛烈に鋭いビームが発していた。入り過ぎてしまって時には親御様から???と思われてしまう空気も感じていた。合格させてやるんだ!!、成績を伸ばしてやるんだ!!、という気持ちだけが先行し、周囲の気持ちなんて気にも留めることはなかった。自分以外の何も信じ無かったのだ。既にお客様方の声が届くような状況下ではなかった時、ハッとすることがあった。
『ウチはどうしようも無い状態だから何とかしてもらいたい気持ちで先生にお願いしてるのに、辞めてしまえッ!!、って発言を連日言われてしまうと困ってしまう。先生を辞めてウチはどこへ行けば良いの?、ドコか良いところ探してくれるの?、、、』
・・・沈黙。正直、言葉が出なかった。浅はかだった。間違いなくお客様の言う通りだ。目が覚めた。本人を必死にさせるべく発していた言葉がお客様を傷つける言葉へと次第に変化させてしまっていたのだ。私の認識と発言に誤差を生んでしまって本当に良くしてくれていたお客様の心の中に、このようなメッセージを生ませてしまったことは大変、残念でならない。全て私が悪い。御叱りのメールが送られてきた時、自分の情けなさに震えが止まらなかった。間違いなく心に衝撃が走ると同時にさらなる決意も固まった。いかなる状況でも辞めるという言葉を彼の前では絶対に出さない、と自分自身の心の底で大きく誓った。辞める、というのは最後の手段にしておくことにした。そう心に決めて以来、私はより一層情熱のある学習指導にとことん徹するコトが出来ていたように思う。何かが吹っ切れた。お客様から連絡が無いから、と言って何をクヨクヨしてたんだろう。もうヤルしかないんだからヤルしかない。私にしか出来ないコトをとことんヤレば良いだけ。それでダメになっても悔いは無い。だからと言って諦めてはいない。真摯な気持ちになって奮起した。最後の最後まで勝負は分からないものだ、と一番知っているはずなのに、、、。知らない間にマイナス思考となっていた自分の不甲斐無さに笑えてしまう。ちなみに当時14歳の中学生も今では既に22歳の若オッサン。彼自身も当初諦め掛けていた夢に奮起して共に成し遂げることが出来た戦友だ。だからこそFacebookの友達登録にもチャッカリ放り込まれている。もう10年以上も付き合っていることになるかなッ。いっぱい喧嘩して、いっぱい笑った。あの頃があるから今がある。
よしッ!!こうなったら絶対に辞めてなるものかッッッ
<つづく>