我が基地はとにかく小さくて狭い。そんなリビングにわざわざ子供達のデスクをギューギューに詰めて置いている。もう1年もすれば私のデスクも特殊部隊3号のモノになるのは必至。それまでにオフィスを借りて「仕事場」というモノを創りたいものだ。そこで子供達のデスクをリビングに置く理由を微妙な感じでお答えしよう。とは言っても、とにかく幾つも理由が有り過ぎて、よく分からないのだが恐らく私の幼少の頃からの経験が大きく影響を与え物語っていると言える。
幼少期、昭和な家に生まれた私は昭和な過ごし方を思う存分してきた。お世辞にも裕福とは言い難い家庭に生まれたのだが、別に不幸と感じるコトは無かった。それには自由奔放で放任主義な家庭環境の存在が大きく影響していたからと言える。だからと言って自分勝手で身勝手に過ごして良い訳ではなかった。悪い事や下手な事をしてよく親父にぶん殴られていたものだ。
家族が1つ屋根の下に暮らし1つの部屋で何もかもをしていた時期が当たり前。もちろん雨漏りのする部屋にも関わらず文句すら言わずに高校卒業までを思いっきり過ごした。今考えると病気になっても不思議じゃなかっただろう。環境は良い刺激を与えるだけでなく心身ともに逞しくしてくれる。完璧に整った部屋では何だか落ち着かない。それは今も昔も変わらないのだ。狭くて小さくてグチャッとなった部屋の方が何だか落ち着く。上品な暮らしは一生無縁な気がする。
少しの不便が人間を心身ともに強くしてくれるものだろう。勉強をしている後ろで電子端末で遊ぶ、家族で騒ぐ、馬鹿笑いをする、そりゃぁ〜もう気が散るのも無理も無い。けれども見方を変えれば、集中出来ない環境だからこそ集中出来る力を養うことが出来るのだ。良い機会ではないか?!、ただそう思うのは家族の中でも私だけ。紙一重のところを歩むのは時として心地良いものだ。