体質改善*エクササイズ序章・ザッツ1時間メニュー

体調も抜群だし意気揚々と張り切ってエクササイズプログラムを立て実行してみたものの本日、早速足をイワしてしまいました。要するに走れない状況、挙げ句の果てに病院な状況。それでも汗を流すべく果敢に挑戦してまいりますよ!!。足が動かせないなら足を動かさなくて良いプログラムを新しく創れば良いだけの話。せっかく新しく手に入れたスニーカーで明日もエクササイズに励もうと思っていたのに残念。10年ブランクのポンコツ振りに情けないっちゃぁ〜ありゃしない。体質改善だけでなく再生計画も立てないといけないようだ。張り切り過ぎましたねぇ〜〜〜ッ(笑))))

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朝起きる。

命の水500cc飲むる。

朝の儀式。

朝食を美味る。もちろん野菜付き!!

運動開始

(01)ラジオ体操

(02)目覚めの柔軟

(03)変則腕立て(10回)

(04)スクワット(10回)

(05)腕羽撃きヨコ(20回)

(06)腕羽撃きマエ(20回)

(07)股関節回し(左外5回、右外5回、左内5回、右内5回)

(08)45°腹筋(10回)

(09)背筋(10回)

(10)変則腕立て(10回)

(11)スクワット(10回)

(12)腕羽撃きヨコ(20回)

(13)腕羽撃きマエ(20回)

(14)股関節回し(左外5回、右外5回、左内5回、右内5回)

(15)45°腹筋(10回)

(16)背筋(10回)

(17)ロードワーク2km

(18)仕上げの柔軟

運動完了

水分補給500cc飲むる。

シャワータイム!!

身支度

仕事開始

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トツゲキ人生「一喝」

これでもかぁ〜!、というぐらい毎日毎日毎日のように仕事に明け暮れていた。以前とは何だか何処と無くシッカリした面持ちで手元を捉えていた。無意識の内に自分でも気が引き締まっていたのだろう。タイミングもそこそこにタウンページの打ち合わせ日が差し迫ってきた。だから、と言って特別な戦略を練ったり大袈裟な準備をしたりしなかった。基本的にはぶっつけ本番型なのだ。勢い良くぶつけて跳ね返ってきたモノを拾い集めて考えて考えて考える。風呂に入ってる時も飯を食ってる時もトイレにいる時も寝るときも運転の時も、とにかくひたすら考える。全ての集合体が大凡良い感じで和み、そして重なった頃合いを見定めて一気にピンを打つ。これは私にしか出来ないことだし私がやらないといけないことだ。このスタンツで、成功体験を得た、というような確信出来る実感はない。けれども、大きな失敗に繋がってしまった、ということもまた無い。大きな失敗は必然的に倒産を意味するからだ。一寸先は闇である。

打ち合わせ当日、ご挨拶も早々に本題に入った。小さい会社の割には出稿数が比較的多いという事もあり毎年、必ずタウンページの営業担当の方と打ち合わせの機会を頂いている。実のところ結構、毎年楽しみにしている。新しい風を吹き入れることが出来るからだ。発想の坩堝、と自分勝手に心の中でイメージしている。そこへ来て今年ばかりは、もの凄く熱い担当の方だったので大きな期待を寄せた。昨年の実績を露骨なまでの数字で話したり、今年度の戦略に関わる内容を簡単に質問したり、2年後3年後に繋がる将来像を伝えたりした。とにかく100%信頼信用して全てをさらけ出して熱っぽく話した。それに夢中になって聞いて下さった担当の方も、幾つか提案書をお持ちしましたが持ち帰って今の話を重ねたうえで新しい提案書を持参します!、というものだった。一先ず10日程先に約束日時を決めて、その場を後にした。

そして10日後、、、。約束の場所で待ち合わせ。2度目の打ち合わせが開始された。早速、提案書に目をやる。今でも鮮明に覚えているがあの時の私の反応は本当に薄かった。見た瞬間に、何だか違う!!、と迸る。何が何だか分からないが何かが違うのだ。ただ1つ言えることは、違和感を感じる、というぐらいのことだっただろう。恐らくあの時、お値引き、というモノが存在するという事を知ったからだ。元より定価オンリーな価格帯でしか頭に無かった私にとっては、何だか不思議な感覚だったのだ。とは言っても、お荷物を背負わせるにはいかない、という気持ちが大きかったので事情を伺うべく当然の如く質問した。すると出稿年数やらサイズやらエリアやら、そのような様々な要素が固まって担当者レベル、マネージャーレベルで許可が降りれば可能なものだと説明を受けた。それでもヤッパリ何となくピンッとこなかった。料金は下がる、というのは確かに嬉しい。正直な気持ちだ。普通ならば飛び付くだろうが私は普通ではない。ここまで考えて下さったんだなぁ〜!!、とシンプルに嬉しい気持ちもある。でもやっぱり違和感は拭えない。提案内容に至っても落ち度なんて一切皆無に等しい。差し出してこられるカードも全てが一様に効果的なカードばかりだ。優秀な方じゃないとココまで完璧には出来ないのだろう。熟練の成せる業だ。疑問が拭えないまま結論が出ないまま、気が付けば同じような打ち合わせを2度、3度も続けていた。これではまったく生産性が無い。思い掛けないぐらい時間を要した。本当のところは2度目で決めたかった。恐らくそれが互いの思いの節だろう。でもやはりそこは妥協したくない。そんな葛藤の中、同じような打ち合わせが2度3度続いても決まらない、となると痺れを切らしてしまうのは当然。

いよいよ4度目にその瞬間がやってきた。打ち合わせも1時間2時間が過ぎ、いよいよ煮詰まってきた正念場。担当の方が一言だけ唐突に発した。そういう意味でお値引きを提示している訳ではありませんよ!!、と神妙な表情で一喝。その言葉に私は我に返った。確かにそうだ。いつの間にやらお値引き専攻で話が進んでいた。気が付かない内に決める為の基準がお値引きを軸としたカタチになっていたのだ。もちろん予算がいっぱいある訳でもないし、無いからこそお値引きをしてもらえれば大変助かる。その部分を熟慮して下さった気持ちも大いに分かるし有り難かった。担当の方には大変感謝している。しかしながら根本的にそういったコトで決めるべき提案ではなかったのだ。でもこれは担当の方の考えを見抜くことが出来る良い機会でもあった。お値引きというのはお互いの為にある効果と分かったのだ。それまでの考えを一瞬にして極端な程にまで改めた。むしろ無理矢理、振り出しに戻した、と言えるだろう。

ハッッッ!!、と気が付いた。元来より私は100円の価値のモノを80円で売りたいとは思わない。ましてや120円で売りたいとも思わない。100円の価値のモノは100円で売りたいし、むしろ100円で売るべきと考えている。それは値崩れが価値を崩してしまい兼ねないからだ。崩れた価値を元に戻す事は値引きをして得られる収益よりも一層大きな努力が必要となる。それは痛い程よく知っていた。目先に捉われてはいけないのだ。この度の打ち合わせで、高いから安くしてくれ!、と発したことなんて一度もないし思ったことすらも無かった。それが熱っぽく話をするうえで、お値引きをしてくれる!、という意識が常態化しつつあったのだ。ダメだ、ダメだ。こうなると話は早く回転していった。既に頭は金額度外視で思考回路が動く。もうこうなってくるといくら料金が掛かろうと関係ない。その時の1分は1時間のように思える程、長い時間が過ぎていた感じがした。手元の資料と頭の資料を元に問合件数から成約率を導き出して考えた。もちろん自分の思い込みな部分は幾分あったかもしれないが懸命に考えを漸進させた。

広告を掲載する本質を落ち着いて考え、知ってもらうコト、と自分の中で位置付けた。よって、決めてもらうコト、を期待してはならない。いかに知ってもらうことが大切であるかだ。知ってもらうことが、連絡する、に自然と繋がっていくと期待しよう。その衝動を引き起こすには内容を充実させる為にも目線を絞り込むべきと考えた。絞り込んでいく内にサイズを判明させることに成功したのだ。サイズが絞り込められれば料金を算出することが出来る。大凡のエリアを自分の就業範囲で呈してみた。多くの方々に知ってもらう為に妥協は出来なかったが幸いにもサイズの効果もあって思いの外、可能性を導き出すことが出来ると判明した。前年度で比較すると、サイズは小振りになったがエリアを広げることができ料金を抑えることが出来た。あの一喝あの一言が無ければ今のような結論には至らなかっただろう。私からの新しいカードは幾分、担当の方の動揺を誘ったかのうように見えたが、さすがに致し方ない。そのカードを見た時、これではお値引き出来ないですよ!!良いんですか?・・・。もちろん返事はYESだった。1ケ月も掛かった打ち合わせがたったが一瞬で幕を下ろした。当時の担当者様には今でも本当に感謝している。このキッカケがあり3年連続で前年度比広告費削減に結び付いているだけでなく、皆様のご愛顧を3年連続獲得することが出来ているからだ。

スニーカー

食事制限が掛かっている今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか?!

私はご機嫌にお盆早々から薬漬けの日々を体調不良と共に闘っています。

とは言え、仕事に一切支障を来していない、という事は言うまでもない。

健康を保ち続ける事は本当に大変である、と学ぶことが出来た良い連休。

この機会に食生活を改善し、運動もやって仕事に充実感をもたらすべき。

善は急げとばかりにスニーカーを物色中なのだが何が良いのかサッパリ。

手書き手作りの感謝の気持ち

お客様やお取引先様から頂き物を賜らせて頂いた場合、必ず行っていることがある。それは手書き手作りの感謝の気持ちを宿したお手紙を送らせて頂くことだ。あんまり字も上手くないし気の効いた挨拶文も書けないが、贈って下さった方々の表情や気持ちを思い浮かべながら時間を掛けてペンを動かしている。実はこの一時が結構、楽しかったりするので大好きだ。好きが講じてお礼状専用の印鑑も創ってしまいました。

以前はお電話でお礼を直接告げさせて頂いたこともあったが、電話でお礼をする、という事に幾分抵抗を感じていた。なぜならば大多数の方々が忙しさに没頭してらっしゃるからだ。コチラからの連絡で相手方の仕事の手をわざわざ止めさせてしまったり、会食中の会話を途切れさせてしまうのは、何だか心苦しい。だから、と言ってメールやSNS、ブログでのお礼では自分の認識から少し外れる感が否めない。

そこで考えたのが今の方法で一先ずお礼を申し上げることだった。もちろん以後、対面させて頂いた場合には、先日は誠にアリガトウございましたm( _ _ )m、と改めて自分の姿勢で自分の言葉でお礼を申し上げさせて頂いている。私にとってしてみれば当たり前の儀式だし、その方の人生の1ページに少しでも長く居続けることが出来るのだ。そう考えただけで何だかワクワクするじゃないですかッ!!

渋滞30km・・・汗。

お盆の渋滞、って何だか強烈。

普段通りに仕事をしていたのだが、ふと見た電光掲示板に驚いた。

家庭教師をやってると高速道路やら自動車専用道路を使うことがある。

山陽中国からの宝塚トンネル、、、

阪神須磨からの麻耶出口、、、

、、、には普段からほとほと悩まされている。

15、16、17をお盆休みとして固定するのは確かに非効率かもしれない。

この電光掲示板が物語っているものは自分達のエゴでも何でもなく、

正しく現状そのものだ。

あの時の指摘や意見は大切にしなければいけない。

宿題の出来具合はどんなものでしょうか?!

宿題の出来具合はどんなものでしょうか?!

ここまで来れば後もう一息という感じです。

課題以外に無理矢理感満タンな漢検対策も☆

1年掛けて身に付けさせる為の小論対策も☆

無茶苦茶かつ無理矢理な無理難題で成長中。

2012・09はもうそこまできてるぞ!!

お盆早々CTスキャン。

お盆早々こんな事になるとはまさか思ってもみませんでした。

前触れも無しに突然の症状がやってきた。発汗、目眩、吐気。

今に及んでは安定安静で大したことはありませんが通院必要。

冷静な判断と応急処置が功を奏して、大事には至らなかった。

血液、採決、CT、点滴、、、と一連の検査状況で診断結果。

要するに過剰労働と日頃の不摂生、運動不足が仇になった訳。

残されたお盆休みを養生し8/16からの仕事に没頭せねば。

8/16木からも忙しいので動き方をセーブしつつ動きます。

仕事の総時間数を16時間以下から原則16時間以下に変更。

品質に変化が生じないように枠を区切って時系列的に考える。

長期的な視野で食生活を見直す為、計画的な食事習慣に変更。

一定の時間帯以外は、形振り構わない食事を決して行わない。

運動不足を解消する為、有酸素運動を増やし良い筋肉を構築。

ジムを週6日として有酸素:筋力のバランスを4:6で設定。

トツゲキ人生「長男」

呆然感が脳ミソの大部分を占めていなかったと言えば嘘になる。それでも決意新たに気持ちを落ち着けて将来的なビジョンをイメージしなければいけなかった。どのくらいの時間が流れたのか、なんて気にも留めなかった。一先ず落ち着きを取り戻し親父へ連絡することにした。さすがに事態も事態だったので親父はしばらくの間、沈黙だった。もちろん気持ちは十分理解出来る。何十年も連れ添ってきたのだから無理もない。ただそこが冷静なのは和田家の親父ならでの気質はだろう。しばらくして一言、後はおまえに任せる!、と発した。親父の器量の大きさを一瞬触れることが出来たような気がした。無論、改めて気を引き締め直したのは言うまでもないことだ。恐らく親父としても、息子に教えなければならない時がやってきた、と確信したに違いない。良くも悪くも親父は親父としての覚悟を決めたのだと悟った。理解するのにそんなに時間は掛からなかった。その一言に何もかもが集約されていたように思う。

おまえは和田家の長男やぞ!またワシの時も頼まんなアカンのやからええ勉強や、と言わんばかりにこの言葉の中に親父らしい言い分を感じた。確かにそうだ。何だか生まれて初め長い月日を経てようやく「長男」になれたような気がした。小さい頃からズゥ〜〜〜ッと親父とは啀み合って来た。昭和の怒濤を血気盛んに生き抜いてきた親父、頭と体を真逆な程に磨き倒し起死回生を図った息子、そんな異色の人生を歩んできた二人の人間性が折り合うはずなんてまず有り得ない。お互い良い意味で異常だったからだ。親父とは犬猿の仲以上に激しい仲だったと今の今まで確信し続けていた。十代の多感な頃から極端極まり無い程、意見の言い合いが勃発し激しく打つかっていた。挙げ句の果てには二十歳の若かれし時でも大喧嘩。今思うとなんて大人気なかったのだろう。大学であろうと結婚であろうと何事も相談無しに自分自身で決めてしまっていたのだから無理も無い。普通でない事が普通である、という環境にお互い浸っていた。啀み合う、という状況が普通だったのだ。けれどもそんな啀み合いも母親の一件で大きな変化が起きた。過去二十数年以上もの啀み合いなんて無かったかのうように、簡単かつ単純に互いが互いで吹っ切れていたことに気が付いた。啀み合ってきた訳では無く、ただお互いの主張が噛み合っていなかっただけなのだ。親父としては、息子が自分自身の意見や主張を持っている、ということに喜びを感じていたものの、それが噛み合ないことに長い間、苛立を感じていたようだ。本質はクリアーなものだった。澄み切った空を眺めた時に晴れ晴れしい気持ちになる。それとどこか同じような感じに一瞬で変化した。15年20年も啀み合っていたのに、まるでそんな状況なんて一切無かったような感じになったのだ。それがたった一言二言交わしただけで変化した。特に親父も私も特別な言葉が互いに交わされた訳ではなかったが、気持ちが通じ合えたことを瞬時に実感した。両親が昔から発していた言葉をようやく理解出来るようになった自分がいた。親父と分かり合えることが出来たと同時に、自分自身で自分自身が成長する、という意味を理解出来たのだ。

後は俺に任せておいてくれ!、という言葉が無意識の内に自然と口から出て来た。その言葉を耳にした親父から今まで感じたことの無いような雰囲気が漂ってきて、わかった!後は頼んだぞ、という一言を発した。その後どのくらい時間が過ぎたのかは定かではなかった。それに何を話したかもあんまり覚えていない。けれども電話越しで長時間話をしていた。今までの何かを埋めるべく互いが互いに話をしていた記憶だけがとにかく存在していた。悲しくもないし悔しくもないのに、なぜか自分でも不思議な感じで電話の最中、涙だけが止まらなかった。心の底から両親に感謝やら反省の気持ちやら、何が何だか分からない複雑な気持ちを抱いていた。これは自分の転機と言っても過言ではない。20代後半の大きな出来事だ。もっと大きな視野で、もっと大きく生きなければならない、と自分にとにかく言い聞かせ続けた。母親と親父は自分達の人生を掛けて我が子に、思慮深く考えて即断即決で行動せよ、という力強さを言葉ではなく行動で教えようしていたのだ。昔から跳びっきり厳しい両親からの制裁は山程あった。けれどもそれは親心。社会で生き抜いて行く為には必要不可欠なのだ。この母親と親父が私の両親で本当に良かった。生まれてくることが出来て本当に良かった。ちなみに、行動こそ発言である、という考えは受験塾家庭教師で今でも生き続けている。