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職 業 人 イ ン タ ビ ュ ー レ ポ ー ト
ゼ ロ か ら 起 業 し 三 事 業 を 営 む
~ リ ス ク マ ネ ジ メ ン ト と リ ス ク ヘ ッ ジ ~
兵 庫 県 立 ○ ○ ○ ○ 高 等 学 校
年 組 番 ○ ○ ○ ○
株式会社 profoundly creative device 代表取締役社長 和田 成博 氏
【仕事内容】
リスクヘッジの観点から次の三事業を営みます。
① 教育業(受験塾家庭教師)
② 投資業(Birth Investment Japan)
③ 広告業(first egg)
【この仕事を選んだ理由】
① 教育業(受験塾家庭教師)
正真正銘のプロ家庭教師を世の中に送り出す事で,勉強に悩みを抱える多くのご家族を救う事が出来るから
② 投資業(Birth Investment Japan)
日本経済の動向を学び,会社の規模を大きくする為のヒントを得る一方で,資産運用の可能性が広がるから
③ 広告業(first egg)
受験塾家庭教師を通して知ってもらう大切さを知り,毎日ブログを通して言葉を発する効率効果を得たから
【1日の仕事の流れ】
基本的には朝8時に起床し,社会情勢チェックながらの身支度,メールチェックながらの朝ご飯。これらを経て怒濤のようなイチ日がスタートします。以後①②③それぞれの事業を同時進行しつつ,深夜3時ないしは深夜4時まで動いています。睡眠時間は4,5時間もあれば良いほうです。
① 受験塾家庭教師
(連絡受付11:00から21:00まで)(学習指導8:00から25:00まで)(締切作業24:00から27:00まで)それぞれの業務を管理監督しています。
② Birth Investment Japan
(証券取引では,9:00より取引開始し11:00に一時終了後。12:30より再び取引開始し15:00にて取引終了)(外国為替証拠金取引では,8:30取引開始ー東京市場ーロンドン市場ーNY市場ー翌3:00取引終了)それぞれの業務を運営しています。
③ first egg
朝8時から深夜3時までの 受験塾家庭教師 ならびに Birth Investment Japan の業務合間を活用し,原稿作成ならびに調整改訂を行っています。
【この仕事に必要な資格や資質】
責任ある言動をもって実行実現に没頭できる力
アンテナを張り巡り様々な情報を掻き集める力
何も無い状況から採算性と将来性を見出だす力
幾度と無い失敗でも成功に導こうと継続する力
突発的な事態でも迅速に判断し解決に繋げる力
【仕事の魅力・やりがい・大切なところ・苦労する点】
仕事の魅力 :世の中を生で感じながら自己実現を確立することが出来る。
やりがい :ありがとう!,という言葉を頂戴する折に喜びを得られる。
大切なところ:常に100%を出し切り,その中で得た反省を次に活かす。
苦労する点 :法と人道の差異に苦慮するシーンを如何に対処するかです。
前人未到の努力で這い上がった高校生時代
小学校、中学校の頃に遊んでばかりいて勉強もしなかった反動からか、高校合格をキッカケに勉強をしようと思う気持ちに少しだけではあるものの小さな 灯火として心に宿った。この灯火が大きな爆発に変わるまでにそんなに時間が掛からなかった。キッカケは、至ってシンプルなものだ。「学年で1番になったら 授業料が免除される。」という事実を耳にし、奇跡的に高校へ合格したというのも足掛かりとなり、周囲からバカにされるような眼差しも加わり、それらの細か な要素の固まりが、私の背中を押してくれたのだ。今思うとやはり動機は、不純である。動機がどうであれ結果的には、これで良かった。それからと言うも の高校生活は著しく困難を極めていた事を今でも走馬灯のように思い出す。当時は、まだ、高校生であった事もあり、私の考えにも然程、甘さがあったように 思うが、その点では、大らかに見てもらいたい。勉強の「べ」の字も知らなかった人間が、我武者らに動き回ったのだ。
まず、最初に行ったのは、タイムスケジュールの管理だ。自分が勉強するには、どのくらいの時間が必要なのかを出来る限り考えた。高校3年間という限られた時間の中で目標達成を成し遂げないといけなかったからだ。さすがに焦っていたように思える。
山陽電車の早朝5時48分姫路発に乗車し、次にJRの早朝6時20分発に乗車することで、最寄りの駅に到着する。そして、そこから、徒歩20分程度 の所要時間を経て、7時5分過ぎに学校へ到着出来る。そして、朝8時30分に朝礼が始まる。そこから、学校の授業が始まり、終礼までが、夕方4時。そこか ら放課後が始まり、学校の門を閉めるまでが夜7時。下校時の電車乗車が8時30分。帰宅すると9時30分。それから風呂に入って晩飯を食い終わるのが、夜 10時30分。そして、深夜1時30分に長い1日が終わる。
そう考えると早朝5時30分起床する事を考えると8時30分までに自学習で確保する事の出来る時間は3時間!!人のやらない事をやんないと絶対にマ イナスからの脱却は、成し遂げる事は出来ない。朝飯を食う時は、単語を見て覚える。歩いている時は、覚えないといけない単語をブツブツ言いながら自分の耳で聴いて覚える。電車に乗っている時、当初、書き物は、出来なかった。ただ、「出来ない」という言葉で自分の決意に水を差すのは、言語道断!!何度も何度 も訓練を積みながらも電車の揺れに身を任せる事で、 電車の中で書き物をする事が出来るようになった。このスキルは、登下校時にかなり役立った(笑)今だから言えるのだが、学校の課題という課題は、ほとんど 電車の中で乗り切った。
それから、学校での生活を考えてみた。あの10分休みや昼休みだ!!正直、言っていらんやろう(笑)この時間を計算してみた。1日で、90分も確保 するコトが出来る。それから、放課後の時間を考えてみることにした。部活動をやっている同級生達がオリンピックに出たり、全国大会に出場したりしていた高 校だったので、時間の使い方については、大変、役に立った。彼等が部活動で時間を費やしている間を勉強に充てる事で成し遂げる事の出来る力があるのだ。こ の考え方は、かなり効果があった。放課後というスパンは、夕方4時から夜7時までだ。7時になる守衛さんが鍵を閉めにくる。今、落ち着いて考えると勉強の出来ない子供達の為に、もっと学校を解放しても良いのではないか!?もっと人生が変わっていただろう。これで確保出来た時間は、3時間。かなりHOTだっ たように思う。
そこまで長い時間学校にいると下校という考え方に少し問題が発生する。郊外にある高校というのは、1時間に1本ぐらいしか、電車がないのだ。夜7時に校門を出ても8時30分までは、1本たりとも電車がなかったのだ。ただ、これをチャンスに返る方法がある。その間も駅で勉強すれば良いのだ。そうする事 で、1時間30分も勉強が出来る。もちろん、その後の電車の中での時間も無駄には、しない。さらに1時間確保!!夜9時30分に帰宅後、30分ぐらいの間で、早飯、早風呂。無論、ゆっくりするはずがない。後は、勉強して、寝るだけだ。ここで、大変、吟味したのが、何時に寝れば一番、良いのかだ。それは、例え10分程度の睡眠時間でも確保するのも大切だからだ。集中力、体力、精神力を保つ事の出来る丁度良い部分で対処しなければいけない。「たった10分ではなく、されど10分」という具合だ。何日も掛かって見出したのが深夜1時30分というものだ。見出した時は、本当に画期的だった。これで帰宅後、3時間30分の時間を確保する事が出来た。今までの内容を一様に考えてみると朝起きて、寝るまでに確保出来る自学習の時間は、合計で、13時間30分ある事が判 明した。もちろんだが、学校の授業時間は、含まれない。自分が一生懸命、勉強する事の出来る時間だ。もちろんだが、これを3カ年やり通しました。ただ、途中で、原因不明の熱(知恵熱!?)にやられる時や、体力低下で意識を失い掛けた時が数日間程度あったりしたのだが、何とかやり遂げました。その介は、今、 正に実感しています。まさに体が砕けてしまいそうになる生活を毎日、毎日、過ごしていた。
次に勉強するスタイルを明確にする必要があった。要するに、限られた時間で、どんな内容、どんな手段で取り組むかを考えたわけだ。好きな教科(科 目)は、苦手な教科よりも比較的、点数が良いので、あんまり目を向けずに勉強する事にした。どちらかという「嫌いやなぁ~」「面倒やんぁ~」と思う教科を主に時間を割いたのだ。今も当時も和田という人間性にほぼ変化はない。生粋のB型を貫き通してはいたのだが、冷静さも兼ね備えていただ為、何事もバランス が重要であると慎重だった。
やはり、偏りを補正すれば、次第に相乗効果が目に見えて発揮されつつあったのだ。無意識のうちに意識していない部分が飛び抜ける!!恐らく、勉強をする醍醐味は、こんな感じだろう。ここで、分かりやすく学内順位をテーマに説明しよう!?私は、高校在学中、学年1番を何度も経験したコトがある。死ぬ気で、勉強を初めてから半年が過ぎようとしていた時だっただろうか!?確か、あれは、2学期の中間考査が一発目だったように思う。それからと言うもの、500人中だろうと40人中だろうと何でもあり状態だった。少なくとも二桁回数以上は、学内順位で1番を確保している。意識せずに1番を獲得していたということだ。何も考えないで、ただ勝手になっていた。1番を確保するには、1番を確保したものでしか、経験しない感性があり、そこには、偶然性と必然性が存在する事に気が付くようになった。そこのところの見極めが難しいのだが、見極めた瞬間、1番になろうとして1番になるコトが出来た。また、2番になろうとしてもなるコトが出来た。恐ろしい話だが、順位なんてものは、コントロールするコトが出来ていたのだ。「ここは、泳がせといて、ここで、攻める!!」そん な感じで定期考査や実力考査では、おもしろ半分に楽しんでいた。とにかく毎回の試験がオモシロくて仕方なかった。なぜなら、自分の思うようにいくからだ (笑)そして、勝手に周囲があぁ~だこぉ~だとテンション上げ上げ状態になっていた。自分に課したやらなければいけないコトをやっていたからこそ、成し遂げることが出来たはずだ。とは、言うものの私にとっては、学内順位なんて、どうでも良かった。そんな事よりも睡眠時間を1時間でも多く確保したい気持ちが常にあったのだ。出来る事なら誰かから睡眠時間を分けてもらいたかった。
勉強をする限界についても少なからず考えた。「なぜ、学校の先生方は、勉強をする限界を教えてくれなかったのか!?なぜ、出口を教えてくれないのか!?なぜ、向こう岸を教えてくれないのか!?」当時は、そんな疑問を常々もっていた。それぐらい、毎日がキツかったのだろう。当時の私にとって半永久的に、かつ、出口の見えない状況で勉強をする程、大変な事はなかったのだ(今では、学校の先生方がその限界を教えてくれない理由を誰よりも理解出来てい る。)。それぐらい大変だったので、限界を考える事すら受験が終わるまで忘れてしまっていたのだが、最終的には、自分が気が済むまで勉強する事が勉強をする限界であることに一先ずの結論をだしたのだ。要するに、いつもの悪い癖が突出して、考えてて、途中で、どうでも良くなった訳だ。はぁ~(汗)なんて、ええかげんなんでしょうか!?自分で、自分の事が情けなくなってしまう瞬間でもあります。
最後に勉強するべき材料を手に入れる必要がありました。その為に、姫路のみゆき通りにある書店に何度も何度も足蹴に通った。文具用品は、ホームセンター(通称、ホムセ)を専ら利用していた。60ページ・ノート10冊で390円は安いでしょう。お昼ご飯代としてもらっていた昼食代で節約したお駄賃や毎月貰っていたお小遣いから少しずつ捻出して、教材代金等に当てていた。高校の頃の勉学というと教科書と書店で売っている高校生のお小遣いでも買えるような安い市販問題集を片手に必死で、ほぼ勉強に励んでいた。そうなると必ず引き起こる問題がある。それは、市販の問題集にありがちな回答解説ミスだ。これは、とにかく腹が立つ!!問題をやってて答え合わせをしたとすると、安易な感じで間違っている。しかし、解説では、正解しているのに、答えが間違っている。悔しいので、何度も何度も、解きなおす。それでも間違っている。今度は、解説をベースに解き直す。そうすると、最終的に解説をつくった者が計算ミスをしているのを見!?そんなのが2度、3度、繰り返されるとせっかく買った問題集でも即ゴミバッコ!!もう頼むから止めて欲しい。お金も時間も無駄にする。それに気持ちも凹む(泣)また、お小遣いに余裕のない時などは、あまりしてはいけない事なのだが、立ち読みにより、難しい問題や定理等を頭の中に叩き込んでいた。特に証明問題等は、一目瞭然状態となっていた。数式が全て、私に何かを訴えかけている言葉に見えるぐらいまで立ち読みしていた。正直、そこまでしている自分が信じられなかったのだが、当時は、もう必死で、必死で、仕方なかったのだ。完全に周りが見えていなかった。そんなに裕福な家庭ではなかったので、やむ負えないのだ。それに私立の高校へ通っていた事もあり、一応、家庭の経済状況を気にするようにもなっていた。人間というものは、こうも変わるものなのかと、自分の行動から自分自身に驚いていた。とにかく勉強をするには、お金も比較的大切だけれど、何よりも、キッカケと時間、そして、情報が大切である事を実感するようになっていた。高校3年間の広げられる可能性は、無限大だ。だから、時間を節約する事や費用を抑えるをとことん学びながら一心不乱に勉強に励んだ。
時間を節約するには、至って簡単だ。その方法としては、「頭をお利口ちゃんにすれば良い」「ノートは、 基本的に大きなメモ帳と考える」「飯、風呂、寝る、以外は、全て勉強に費やす。」それに、費用を節約する事も簡単だ。身近な情報をとにかく頭の中に叩き込む。そして、学校の先生を活用しまくる。ただし、私の場合、私の解きこなす問題を解ける先生がいなかったので、その点では、大変、残念な思いをした。そう考えると進学校と言われる私立の中高一貫へ通 われる方々や公立でも進学校と言われる学校を目指す方々の気持ちが少しは、分かる。自分のやっている事が周囲に対応出来ないのは、減なりするからだ。その時点で、「俺の青春を返せぇ~!!」っと言いたくなってしまう。ちなみに私の場合は、2、3人の先生を学校から放り出したのだが。。。仕方ない話だ。学校の先生も毎日、毎日、勉強し、自分のスキルアップを行えば、事無きを得るし、大人として、当たり前の事だろう。先生、先生、と言われて自分の身の程を見 失ってはいけないのだ。
このようにして、高校という3年間は、勉強に対して、比較的、前向きに取り組んでいた。その介もあり、高校3年生の3学期ともなると勉強時間が睡眠時間になりつつあった。恐らくそれだけ余裕が出てきたのだろう。余裕と油断の意味を履き違いしてはいけない。あくまでも余裕なのだ!!「頭の良い同級生さん達 よ!!頼むからこの状況に気が付かないでくれ(汗)」と思うようにもなっていた事は、鮮明に覚えている。気が付かれれば、世の中にいる優等生達に叶う訳が無いからだ。彼等は、本来持っている頭の良さをベースに対策案を練ってくる。それでは、私の歩んできた3年間がブッブーになってしまう。だから、最後の最後まで、同級生達の目に触れないような通学方法や学校生活を考えてきたのだ。一事は万事!!正にそうだ。ちなみに、この意味は、あまりよく分からないのだが、、、(笑)こんな毎日を特に誰からも評価してくれないままで良い。もちろん自己満足で十分!!誰からも警戒されない事で、日々、充実した毎日を過ごす事が出来た。そこに値打ちがある。形の無い自分だけの価値がある。それに小学校中学校時代のおバカちゃんの時よりは、だいぶん視野が広がった。ここまで出来たのも両親がいてくれたからだ。私1人の力では、不可能だったのは、間違いない。支えとキッカケを与えてくれたからこそ、成し遂げる事が出来た。口には、出さないが、心の中で、大声で叫んでいる。大学受験も散々な結果となっては、いたものの充実感はあった。それに良い機会に「後悔」というものもしてみた。それは、「国語」をほとんど勉強していなかった事により進みたかった道から少し外れてしまったからだ。 大学入試センター試験の結果では、780/900点満点中であった。合計でみると普通!!メリハリも何にもない。地味だ。よくよく見ると思った通り、国語は、ブッブー状態であった。しかし、一般的によく言われる「国語の出来ない者は、英語は出来ない」という意味の分からないジレンマが有り得ないという事を立証出来たのは、オモシロかった。そんな固定観念は、関係ない。何事も努力次第で出来るという事を理解出来た。それを理解出来ていて「国語」を勉強せずに 志望大学からそっぽを向かれたのだから、世話が無い(笑)まぁ=それも人生だろう!!ただ、どこの大学へ進んでも自分の頑張り次第で、何でも動かす事が出来る自信があったので、あんまり、どうとかは、思っていない。大学が何かをしてくれるのではないからだ。それは、高校3年生の頃からまったく変わっていな い考えだ。大学は、キッカケと様々な情報が保存されている場で、それを活用するのは、自分だ。活用出来ない者は、東大へ進もうが京大へ進もうが、どこへ進んでも同じこと。ただ、大学ブランドで人生を歩もうとする人間として、細くて魅力を感じさせない人生が待っている。それでは、ぜんぜんオモシロくない。 もっと人間は、グローバルなはずである。私は、志望大学への合格よりも大切なものを高校で学ぶ事が出来た事に一先ず、満足している。後は、どこの大学でも 良かったので、名前の響きが良いという理由だけで、大学へ進学した。
<大学入試センター試験の結果>
数学12AB 200点/200点
英語12 196点/200点
国語12 92点/200点
政治経済 96点/100点
化学 100点/100点
生物 96点/100点
親父「高校どうやった?」
私 「いって良かったわ。」
親父「ほんまか(笑)大学いってもガンバレよ」
私 「うん。せやけど。。。お父ん!!家、大丈夫?」
親父「そんなしょうもない事気にせんでええわい!! おまえは、おまえにしか出来へん事をやってこい。おまえには、出来へん事をワシやお母んは、やっとるんやから。おまえは、おまえの生きる道を突っ走らんかい」
私 「わかった。絶対、やったるわ!!頭ええ奴らには、絶対に負けへん(泣)」
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