満を持した春先早々に先を見通せない勝負が始まった。まずは一番の大きな難関。親父の説得から幕が開いた。昭和20年生まれで激動の高度経済成長期をズバ抜けて生きてきた男。一筋縄ではいくはずもないのは間違いない。とにかく真っ直ぐな人間。されに加えて言うならば腕っ節の強い芸術家であるがゆえの「我」というエッセンスも注入されている。このような話をすること事態が親父の逆鱗に触れてしまうのは百も承知。互いにとことんピリピリしながら3日3晩、朝から晩まで話をし話を聞いてくれた。姫路から飛び立つ理由、10年後の自分、これまでの反省、今後の計画、その他様々なコトを話した。もちろんだが、烈火の如く激の入ったモノになっていたのは言うまでもない。怒る、というよりも、大丈夫か?!、というニュアンスに近かったからだろう。けれどもやはり、恐いモノは恐い。そして互いに話も尽きてきた3日目の夜、こんなに親父と話したコトはなかった、と我に返り少し嬉しい気にもなった。昔っから厳格な親父。何だよ!!、と思っていた衝動も若かれし多感な時期には付きモノ。そんな当時よりも少しは歩み寄ることができ、理解出来る程に成長していた。話もポツンポツンとなってきた時、私の目の前に少し部厚めの封筒が静かに置かれた。なんや!?、と思いながら手に取り中を見て言葉に詰まり、自然と涙がこぼれた。しばらくの間お互い言葉も無いまま、まぁ〜ガンバレよ!!、、、という親父からの静かな一言。姫路を飛び出しても良いぞ、というシグナルだったに違いない。もう二人に言葉はいらなかった。心の底から本当に心配してくれていたと考えが改まった。同時に自分自身の小ささにも目覚めた。その途端、無意識に感謝の言葉が口から初めて出た。お父ん、アリガトウな、、、胸が詰まり照れ臭くて、何とも恥ずかしい気持ちで仕方無かったが、いつもの親父はいつもの親父の表情に戻っていた。竹を一刀両断したような性格には、広く大きく周囲を見渡せる繊細で慎重な性格が存在している。親父が親父で本当に良かった。
親父との談に達成感を覚えて胸を張りつつ次なる進展に臨んだ。姫路を飛び出してもドコに所在を置くかなんて全く考えていなかったのだ。とにかく姫路を飛び出す、とにかく兵庫県を目指す、という思いだけしかなかった。無計画としか言いようがない。ドコで仕事をすれば一番良くて効率的なのか、を考える為にコンパスを手に取って地図と睨めっこ。やはり考えが進まないので、とりあえず姫路市役所を基準に車で半径1時間としてコンパスを回してみた。すると意外なコトに気が付いた。姫路という場所は、海の部分の占める割合が比較的多い。何だか不思議な違和感を感じた。海に住む人がいるなんて有り得ないからだ。本来ならコンパスの面積部分が陸地ばかりにならないといけないし、そうなるところで仕事をするのが理想。そうすると自ずと「神戸」という選択肢も消える。姫路よりも海岸より、というのが理由だ。神戸は、兵庫県の県庁所在地。選択肢から外すのはかなり勇気のいることだ。だからと言って自分の見出した妥当性に言い訳をしたくない。一先ず分析するべく反例を考えてみた。仮に神戸に所在地を置いたとしても意地費が今以上に掛かり過ぎてしまうのは一目瞭然。家賃、駐車場代金に加えて東西を動き回るうえでのバイパス代金も掛かり過ぎる。加えて言うならば渋滞多発により移動時間を必要以上に切迫させてしまう。神戸に所在を置いて仕事をするイメージが付き難い。うぅ〜ん、、、と決め切らなかった丁度そんな時、偶然にも一本の相談のご連絡があった。恐ろしいまでの偶然であった。 <つづく>