皆様もご存知の通り私は小さい頃めちゃくちゃ勉強が嫌いでした。特に国語という教科はとてつもなく大嫌いですm( _ _ )m今も昔とそれに変化はありません。恐らく、今後いつまでたっても大嫌いな自信があります(笑)納豆は生まれつき大嫌い、魚介類や茄子等の灰汁の強い物体は身体的不可抗力(要するにブツブツ発生)により大嫌い、結論の出せないスタッフの発言や行動は心の底から大嫌い、これらと同等レベルに値します。
今更ながら、わざわざ教科書を開いて勉強しようとも思いません。毎日、毎日、思いっきりブログを書かせて頂いたり、公文書を作成させて頂いたり、論文を作ったり、そういったコトにどんどん頭を使いたいです。もちろんですが私自身、文才があるはずもありません。 けれども、書ける事は書けるし、自分の考えや思いを言葉を通して伝える事だって出来ます。ましてや、数学では式と記号が言葉に見えますし、化学では構造式や反応式が言葉に見えます。そうでないと行動に示し、発言にも繋げていくコトが出来ません。
そんなワケで、文章能力を養えたのは英語、数学、化学からです。これは明確です。英語からは言葉のニュアンスや温度差、表現力や文化。数学からは洞察力や記憶力、そして発想力。化学からは言葉の持つ行動力、危険性。これらがスクランブルされて今の私の国語的?な力を築き上げられたはずです。
ですから、国語が出来ないからと言って英語が出来ない、ってコトはありません。私は国語が出来ません。そんな状態からでも英語が出来るようになりました。結果的には、英語が出来るようになれば国語は出来るようになります。現に私は自分の組織を成長させるコトに繋げることが出来ています。無論、国語的な能力が無いと成長はしない媒体であります。結果的には実を結びつつありますので、国語力は養われていると一応結論付けています。
根っからの理系、根っからの国語大嫌い人間、根っからのオモシロいもん好き、今や既に30過ぎの大人ですが、まるで小学生のように自由奔放です。とっても無理矢理ですが、こんな国語大嫌い人間でも文章に伴うアレコレ、読解に伴うアレコレ、表面には見えない断片的な内容のアレコレ、これらで生じる問題や計画を滞り無く解決に結び付けるコトが現状、全力を尽くすことで可能です。
国語が出来なくても、国語力を身に付ける方法はあります。けれども、本来ならば「1程度」の努力で済むのに「3以上」の努力をしなければいけません。それが出来ないなら「1程度」の努力で留めておくべきでしょう。国語という教科は、何もかもの根幹となる重要な要素を含んでします。だから、受講生皆さんに言いたい。国語は絶対に勉強しておくべきです。その方が、ずっと無難です。少なくとも私は身を以て知りました。そうでないと、一か八かの事態に立たされた時、心が折れてしまいます。