熊橋 実里
9月下旬にnawadanに入社し、はや1か月が経ちました。この1か月、驚き、緊張感、少しの辛さ、そして大きな達成感や喜びと、自分が日々様々な感情を抱きながら生活をしていることを痛感しました。それは決して楽なことではなく、何もせずとも時間が経っていくというようなものではありません。しかし、浮き沈みの無い感情とともに毎日をなんとなく過ごすことに比べれば、遙かに充実し、「生きている」実感を得ていることに違いないでしょう。
私が、忙しい感情の変化と付き合いながら日々仕事をすることに対して充実していると思えるようになったのは、入社して間もなくという訳ではありません。紆余曲折の末に、こうしてこの1か月を充実したものだと振り返ることができるのです。その紆余曲折について、少しお話しをさせていただきたいと思います。
突然ですが、私は幼い頃から「自由にやっていいよ」という台詞を言われて戸惑ったことがありません。小学生の頃、図工の授業では周りがどういう風に作品を作り始めようかと迷い、参考の作品を見たり周りの友達と相談し合ったりしている間に、私の中ではもう完成のイメージができていて、一人黙々と作業を続けていました。中学生になると理科や社会の暗記ノートを自作してテストに臨んでいました。自分の思うように作ったノートを使って良い点が取れれば、それは何より楽しいことでした。
そんな私にとって、nawadanはとても魅力の溢れる会社でした。自分が思う最良の方法を考えそれを実践する。「こう考えたのですがどう思いますか?」と聞けば「そう考えたのならやってみたら?」と返ってきます。ですが決して放任されている訳ではありません。成功すれば一緒に喜んでくださり、失敗すればアドバイスを下さる。「自由にやっていいよ」という言葉にワクワクしてしまう私にとって、とてもお仕事のしやすい環境です。
しかし私には直そうもなかなか直らない欠点があります。たとえ切羽詰まろうと「人に頼っている時間が勿体ない」という思考になり一人でがむしゃらに頑張り、結果キャパオーバーでパンクするという現象が、定期的に起こってしまうのです。nawadanに入社した後も、私の人生における「第n回・一人がむしゃら期」がやってきました。客観的に考えればそんなに重大な問題を抱えている訳ではないことも多いのですが、その期間に入ってしまった私には、どんなに小さなことでも一大事に思えてしまうのです。
「でも、頑張らないと。だって今の私には、頼りにしてくれる生徒様がいるんだから。」そう自分に言い聞かせたとき、ふと自分が心の中で言った言葉が引っかかりました。それまでの私は、自分のことばかり気にしていたことに気付きました。「これをしないと後で自分の首を絞めることになる!」そんな風に考えていたから、私はしんどさを感じていたのでした。「きっとこうすれば喜んでもらえるだろう、役に立てるだろう」生徒様のことを一番に考えたとき、自分がなにをすべきかが明確になりました。いつも私の話に真剣に耳を傾け、分からなかったことが分かって喜ぶ生徒様の姿を思い浮かべると、それまで私の心を重くしていたものは吹き飛びました。それからは、がむしゃらにやることがしんどいことではなく、楽しいことに、なんと180度変わったのです。
そんな風に変われたのは、自分の視点を変えることができたからですが、そのきっかけを与えてくれたのはnawadanの社風、社長や周りのスタッフの方々のお言葉であることは間違いありません。電話越しで「一人がむしゃら期」突入中の私の異変に気付いて絶妙なヒントを下さったり、私の意見に対して「じゃあそれでやってみよう」と背中を押してくださったりするのが、nawadanのスタッフです。私がこの1か月で、これまで自分の欠点だと思っていたことを自分のエネルギーに変えることができたのは、私を取り巻く環境のおかげだと自信を持って言うことができます。
これからも私の一人がむしゃら期はn+1回目、n+2回目と幾度となくやってくると思いますが、それを怖いと思う気持ちは一切なくなりました。むしろいつも以上に集中力を発揮できるので有り難ささえ感じます。nawadanが、社長やスタッフの方々が、そしてお客様の存在が私に与えてくれた大切な気付きを胸に、更に相手の求めることを感じ取り、それに応えることができるように、今日もお仕事に臨みたいと思います。