ノートの取り方、使い方について、自分の高校時代を踏まえていろいろ考えてみました。結論から述べると、結局のところ自由である、という事に行きついてしまったのだ。良くも悪くも、そんな事は単に自己満足な領域。時と場合で役割や使い勝手をいかに区別するかで大きく事情が変わる。参考になるかどうかは不明だが、私が高校の時について話してみよう。ちなみに、もちろんの事だが今でも結構、役立っています。
(1)学校では、、、
基本的に大きなメモ帳として捉えていた。とにかく先生の話すコトに集中したかったのだ。授業中に不明な点や理解出来ない箇所がある場合、後で教科の先生に質問をしたいので、とにかくメモっていた。相手は喋ってるし、私は書いてる。必然的に字は走り書きで、乱暴に書き殴った状態になってしまうのは止む負えない。先生から発せられる内容は板書よりも大切なコトだ。
その為、ノートの取り方はとにかく雑になる。どれぐらい雑なのか!?もう本当に雑なのだ。雑というよりもザツの方が意味としては近いだろう。基本的に自分しか読めない状況。だから、同級生は決して私にノートを借りにこなかった。なんせ、読めないのだ。本人以外解読不能意味不明。どこに何が書いてあるか分からない、そんな状況。 それも徹底的に。縦横無尽とは正にこのコト、と言わんばかりだった。
そんなんだったから、当時の先生からはよく注意を受けた。それでも直らなかった。むしろ直さなかった、と言う方が適切。今思うと、何て愚かな高校生だったんだろう、とヒシヒシと感じる。でも、よく考えてもらいたい。ノートをキレイに書くよりも授業をちゃんと聞いている方がよっぽど大切だと考えていたからだ。
(2)家では、、、
教科毎に若干の違いはあるのだが、提出ノートと苦手ノートの2種類に分けていた。まずは提出ノートについて話そう。これは文字通りの役割を担っていた。予習として授業を前に教科書を一通りマトメ上げており、また初見の問題を順に解きこなして解答も完了させている。 さらに学校でメモってきた概要を書き込んでいるので、提出には事欠かない完璧ノートだ。正直言っていつでも提出出来るノートに仕上げている。もちろん間違っている小問題や理解方法等に対しては、反省改善をしているのは言うまでもない。
ノート提出の度、自学習に支障を来すのがとにかく面倒だったから作っていただけだ。そんな深い意味は無い。授業中のノートと提出中のノートのギャップが当時の先生達を唸らせていたようだ。それも、そのはず象形文字が一夜開けてちゃんとした日本語になっているんだから気持ちも分かる。
次いで苦手ノートについて話そう。これは提出ノートから苦手問題や間違った問題、理解に繋げ易いバイパス的問題等の自分的落とし穴と言えるような問題ばかりを集めた秘策ノートだ。比較的、自信の無い教科の試験前日には、とてつもない本領を発揮してくれるし、もう一方が提出中でも問題なく復習を行ったり特訓を行ったり出来るのだ。
このノートがあるオカゲで定期考査前や実力考査、模試等の直前に試験勉強をした記憶があんまり無い。普段からの勉強と使えるノートがあるとそんなモンなのだ。試験中と言えば昼から帰れるので、結構、好きだったかもしれない。唯一無比の自由を勝ち取る事に繋げていただ魔法のノートと言えよう。
(1)(2)を踏まえると、それぞれの科目あたり最低でも3種類のノートを区別して活用していた事がご理解頂けるはずです。これらはあくまでも参考程度です。ちなみに私の直接的な子供達に対しては、一人一人に応じたスタイルでノート作りをさせています。だから、取り方や使い方は、専ら自由なんです。
使い手が、いかに自分スタイルに磨きを掛ける事が出来るかを吟味するべきでしょう。自分が一番ストレスなく勉強し易い方法が適切な方法に近いスタイルなはずです。何事もバランスです!!いろいろ思い出すと懐かしい気持ちになりますねぇ〜ッ(笑)