手元の教材を「教材」と思って作業するか,試験でええ点とるための「手掛かり」と思ってルールに従うか,で試験の結果やその後の伸長は劇的に変わります。
そこでコソコソ話をしちゃうと,子供さんが我慢して辛抱して歯を食いしばってたら弱音を吐きながらも勉強に打ち込みます。結果が出た後に,良かろうが悪かろうが努力してきたことに対して「褒め褒めエッセンス」を注いでやってください。
それでほんの少しでも「変化」が生まれたら,親御様や私達がその変化に気づいてやって大切に育てたったらええんです。いずれが欠けてもあきません。言うは易しやるは難しです。子供さんが我慢してんねやったら,親御様も私達も我慢して待たなアカン。
せやないと,吊り合いがとれんのです!
このような「変化」という目には見えないものを気づくにはいったい何が必要か?!って,それは簡単なことです。何よリも「時間」が必要です。もうちょっと言うと,親御様が我が子を信じられる力が必要です。我が子のことなんで,上手いこと親の思った通りなんていきません。
愛情もって最後の最後の最後まで支えたってください。親御様がギューーーッと握り拳を握って,何が起きても18年ないしは22年ぐらい力を緩めへんかったら,最終的には親御様の心から自然と溢れてきます。
これが我が子の「やる気」を認めた瞬間です。つまり親御様が求めてきた「やる気」そのものです。
すいません。私がそうでした(笑)